熊木杏里 CONCERT2022~my nostalgia~

熊木杏里さんの故郷「長野県千曲市(旧・更埴市)」で7月3日(日)にコンサートが開かれたんですが、そちらに行ってきたのでコンサートレポートを書いてみました。コンサートに来られなかった方に雰囲気でも伝われば嬉しいです。

※注意
○このコンサートレポート(備忘録)は、コンサート中に記録したメモと記憶をたぐりながら書いていったものであり、記録漏れや記憶が抜け飛んでいるところなどについては、脚色を施している可能性がありますので、完全なコンサートレポートではないことをご了解下さい。
○もし間違いを見つけたり、補記できる項目があれば、コメント欄で書いてもらえると嬉しいです。

日時2022年7月3日() 開場 14:30/開演 15:00
会場信州の幸(めぐみ)あんずホール(千曲市更埴文化会館)
チケット全席指定 4,500円(税込)
出演者Vocal & Piano 熊木杏里
Bass & Band Master 森田晃平
Guitar 齋藤純一
その他主催:千曲市教育委員会
共催:abn長野朝日放送
後援:屋代駅前通り商店街協同組合

曲目

(ピアノ弾き語り)
(長野県歌「信濃の国」~)ノスタルジア
新しい私になって
ここにある今日
誕生日
囃子唄

(トリオパフォーマンス)
今は昔
りっしんべん
今日という日の真ん中
夏の気まぐれ
君まではあともう少し
夏蝉
風の記憶
祖母と二人で
「埴生小学校校歌」(アカペラ)

アンコール
22才の別れ(with熊木父)
心の友~WiLSON~(with熊木父)
七月の友だち

開演前

あんずホールの収容座席数は2階席まで含めると760席ですが、今回は2階席は使用されていないようでした。開場後、さっそく自分の座席に着席して周りを確認すると、1階席超満員というわけにはいかなかったようですが、2/3くらいの客席が埋まっていたような印象を受けました。主催が千曲市教育委員会なので、大々的に宣伝しているわけではないようですね。

ステージ上には真ん中にグランドピアノが1台、下手側(向かって左側)には出演される齋藤純一さんが使われるであろうアコースティックギターが2つ用意され、上手側(向かって右側)にはバンマス・ベースを担当される森田晃平さんが使われるエレキベースやコントラバスなどが配置されていました。他にも音源調整用の機材なども置かれていました。開演までの時間はホール内にずっとピアノ曲が流れていました。

ピアノ弾き語りから始まる

開演時間になると、ほどなく熊木さんがひとりで登場し、ステージ中央で客席に向かって深くお辞儀をしてから、グランドピアノ前に座られました。

最初、熊木さんはピアノソロで曲を演奏されていたんですが、長野県歌「信濃の国」を弾かれていたようです。ひとしきりピアノソロで弾かれたあと、そのまま「ノスタルジア」の前奏につながっていったようです。故郷のことを思って書いたこの曲を、地元で開催するコンサートの冒頭で、ちらちらと客席に視線を配りながら、ピアノ弾き語りで歌われていました。

「皆さん、ただいまです!」の一言で会場から割れんばかりの拍手が。県外から多くの方がいらっしゃっていたり、また、熊木さんを小さい頃から知っている方などもいらっしゃってるなんてお話や、冒頭に演奏された「信濃の国」をおばあちゃんに歌ってもらったなんて話をされてらっしゃいました。

次に披露する曲の説明に入り、「この曲で知っていただいた方も結構多いのではないかなと思うんですが、『本日私は振られました』って、何年前だ、ってなりますよね。(そんな言い方したら客席の皆さんに)失礼ですよね』なんて一人でノリ突っ込みをしながら、「新しい私になって」を引き続きピアノ弾き語りで演奏されました。この日は地元でアットホームな雰囲気のコンサートになったからなのか、非常にリラックスされていて、歌声も非常に伸びやかで、ピアノ演奏もものすごく良かったと思います。「伸びやか」っていう言い方は一番ボクとしてはしっくりきました。

曲が終わったあと、自分の「杏里」という名前の話をされました。今では自分の表した良い名前だと思っているとのことですが、小さい頃は「アンリ・クレール」という千曲市にある焼き菓子のお店があって、男子から「やーい! アンリ・クレール!」ってからかわれてあまり好きじゃなかったとおっしゃっていました。また、最初の名前の候補は「マイ」だったそうですが、熊木さんのおじいちゃんが「杏里」とつけてくれたなんてエピソードを披露されていました。

話が変わって、千曲市の皆さんに向かって「長野県もコロナ感染者が多かった時期もあって、なかなか帰れませんでしたが、皆さんお元気でしたか?」なんて問いかけをされて、会場から拍手が送られる一幕もありました。

そんな話のあと、「ここにある今日」と「誕生日」の2曲を続けてこちらもピアノ弾き語りで演奏されました。「ここにある今日」では熊木さんはスコアと歌に集中されていたようで、客席に脇見もせず、途中で無音状態になるブレイクがありつつ、歌われていました。一方、「誕生日」では客席をちらちら見ながら、笑顔を見せつつ、楽しげに歌われていました。先ほども言いましたけど、この曲も声がすごく出ていたし、グランドピアノの音色も力強くて素晴らしい弾き語りだったと思います。

歌い終わって拍手が収まると引き続き熊木さんが話し始められました。地元の方に自身の活動が20周年を迎えたことを報告し大きな拍手が送られました。20年やってこられたのは環境が良かったんだと思うとおっしゃって、特におじいちゃんが小さな頃の熊木さんの歌を楽しんでくれていたようで、のびのび歌わせてもらうような良い環境だったのが良かったんじゃないかという話をしてたと思います。

次の曲の説明をし始め、「20歳のころ、初めて沖縄に行きまして、戦争のこととか資料を読みながら、実際の場所に立ってみました。その時に感じた言葉に表せない想いが曲になりました」と、「囃子唄」を歌われました。

「囃子唄」もピアノ弾き語りで演奏されたんですが、ピアノアレンジが少し悲しげ、寂しげに「ポロン、ポロン♪」というピアノの音色に熊木さんのボーカルが乗る感じだったんですが、後半になるにつれて伴奏が強くなって、そのピアノ演奏に沖縄に感じた強い思いが現されているのかなと思いました。

サポートメンバー参上

曲が終了し拍手が一段落すると、熊木さんが今回のサポートメンバーであるバンマス・ベースの森田さんとギターの齋藤さんをステージに呼び入れました。

ギターの齋藤さんから、「長野に来て何度も風呂に入りました!」なんて話をされて会場に大受けだったことを覚えています。齋藤さんは千葉県九十九里浜出身とのこと。山に囲まれた千曲市には初めて来られたとのことで、「緑が目に優しい!」っておっしゃっていて長野県千曲市を結構楽しんでいるようでした。

バンマスの森田さんは長野に来られるのは3回目とのことで、最近だと2020年に白馬村で行われた「ヤッホーフェスティバル」に熊木さんと行かれてましたね。森田さんから「長野って場所が好きなんです!」なんて告白をされて会場から拍手をもらっていらっしゃいました。出身は鹿児島県とのことですが、緑が優しくて長野県と似ている感じがして肌に合うとのこと。さらには人が優しくて、さすが「熊木杏里」を生んだ街ですからね、とおっしゃって会場から再び拍手を送られていました。

そんな話をしつつ次の曲へ。熊木さんが「日本のフォークソングがすごく好きなんです」なんてことを言ってフォークソングを意識した曲、「今は昔」を、熊木さんのボーカルとピアノ、森田さんのベース、齋藤さんのギターで演奏されました。森田さんのベースがこのコンサートで初だったこともあり、結構強いベースの音圧を感じていました。ホール内に結構響いていたと思います。そして終盤、熊木さんのピアノとボーカルがフィーチャーされた後、森田さんと齋藤さんでサビの「♪止めて」の部分でコーラスが入りつつ、全員の演奏で締める感じになってたかと思います。

続いて「りっしんべん」。東京に住んでいた時に世の中に対して言いたいことを書いた曲との説明をされて曲に入っていったと思います。齋藤さんのアコギ(アコースティックギター)はもちろんなんですが、森田さんもアコギを手にされて、ギター2台体制での「りっしんべん」となりました。(※最初、「アコースティックベース」かなと書いてましたが、バンマス森田さんから直接ご指摘いただき、修正いたしました。

ギター2本だったので非常に軽快な前奏となり、自然に客席から手拍子が起こりました。歌が始まると、演奏は森田さんのアコギのみの箇所があり、演奏が休み中の齋藤さんも手拍子を取っていたのが目に入りました。熊木さんのボーカルも伸びやかで、ファルセットもすごくきれいでした。間奏では齋藤さんのギターの音色も格好良かったです。

曲が終わった後、今日の衣装についての話をされ、インスタグラムで20周年ライブのボツ衣装を載せたら、「かわいいです! 長野のライブの時に着てください!」というコメントが寄せられて、それを真に受けて着てみましたという話をされ、森田さんや齋藤さんから「かわいいですよ」と褒められてしまい、熊木さんが「一人で浮かれています」なんてやり取りをしてました。

その後、なぜか「大人になるとなぜ相撲を見るようになるのか?」という話題に。最初はじいちゃんやばあちゃんが相撲を見ていたと思ったら、父母が見るようになり、今度は自分かな、みたいな感じになっているなんて話をされ、相撲はルールがシンプルだから人気があるのかな、なんて話をしていたと思います。斎藤さんは相撲が大好きだそうで、熊木さんから「好きな力士は?」と聞かれ、「(長野県出身の大関)御嶽海!」と答え、熊木さんが改めて「本当は?」と聞かれて、さらに改めて齋藤さんが「御嶽海!」と答え、会場から暖かい笑いを受けていました。ちなみに森田さんは相撲はあまり見てらっしゃらないそうです(笑)。

続いて、熊木さんは千曲市に戻ってこられて実家に泊まられたそうですが、大人になって親と一緒に川の字になって寝たなんて話を言われていました。森田さんから、自宅から一番近くのコンサートホールで自分のコンサートがあるっていうのはすごいことですよね、なんて話をされてらっしゃったと思います。また、この「あんずホール」では、昔、ピアノの発表会に出演したらしいということと、リニューアル前にライブで来ていたなんて話もしてらっしゃいました。

続いて「今日という日の真ん中」が歌われました。この曲では熊木さんがピアノ前から移動し、ステージ中央前方に出てこられ、ボーカルに専念され、齋藤さんと森田さんはりっしんべんと同じようにギター2本体制での演奏となりました。

「今日という日の真ん中」が終わるくらいからバックに浜辺に打ち寄せる波の音が流れてきて、その上にシェイカーの音色で作られた打ち込み音源が重ねられました。そこにギター2台のものすごく軽やかなアレンジの「夏の気まぐれ」が始まりました。CDに収録されたものとは結構印象の違うアレンジとなっていて驚いた記憶があります。

続いてこれも打ち込み音源にてリズムを刻みながら、「君まではあともう少し」が始まりました。この曲は熊木さんのボーカル、齋藤さんのギター、森田さんのベースだったかなと思います。

熊木さんのふるさと

曲が終わると、熊木さんは次の曲の準備のために肩掛けのピアニカを用意されながら、信州の幸(めぐみ)あんずホールの話をされました。ホールのステージが台風で浸水してしまったため、ステージの床を入れ替えており、ピアノも弦を張り替えたとのことですが、ホールの座席は変わっていないらしいなんて話をしつつ、被害を受けた後のホールの様子を熊木さんが見に来られたそうで、併設されている図書館の本がビショビショになっているのを目にされていたそうで、そんなホールが被害から復興したため、地元からコンサートをやってもらえないかと依頼があって今回のコンサートになったとのことです。

熊木さんは千曲市の鋳物師屋(いもじや)というところに住んでいらっしゃったそうで、そのころのことを歌った「夏蝉」が演奏されました。出だしは森田さんのコントラバスのソロから入りました。その後、熊木さんの弾くピアニカの聞き覚えのある前奏のメロディが流れ、歌の出だしは熊木さんの声と齋藤さんの優し気なギター、そして森田さんのコントラバスという構成だったと思います。そんなに難しいフレーズは弾かれていないと思うんですが、熊木さんの故郷である「千曲市・更埴」で聴けて、「♪いつからだろう、あの道を通学路と呼ばなくなったのは」という歌詞の情景が目の前に広がってくる感じがして、目頭が熱くなるものがありました。ここで聴ける良さを感じた気がします。ところどころ熊木さんが弾かれるピアニカのメロディが郷愁を誘っており、シンプルなメロディ、シンプルな演奏がものすごく心に沁みました。

続いて、同じ構成で「風の記憶」が演奏されました。曲の始めと中間に熊木さんのピアニカの音色が入りながら、ギターとコントラバスの音色に包まれていた感じだったと思います。また、森田さんと齋藤さんのコーラスも要所に響いていました。

2曲続けて演奏された後、熊木さんのお話となりました。本日のコンサートに熊木さんの祖父母がいらっしゃっているとのことで、もう100歳近いご年齢だそうで、元気で嬉しいと話されていました。このご時世もあって心配だそうですが、これからもずっと元気でいて欲しいなんてこともおっしゃっていたと思います。

そんなおばあちゃんと一緒に散歩をした時の曲「祖母と二人で」を続いて歌われました。曲の初めは熊木さんのピアノとボーカルのみでしたが、そこに齋藤さんのギターが入ってくる冒頭だったと思います。全く気づいていなかったんですが、森田さんは見間違えでなければ『バンジョー』を弾かれていたんじゃないかと思います(※森田さんからご指摘いただき、正確には「ギターバンジョー」を使われているそうです。下記ツイート参照ください。)。バンジョーはすごく目立ちやすい音色だと思うんですが、森田さんは曲に邪魔にならないようアクセント的に使われていたようでバンジョーを目立たせないように弱く弾いていたように思います。

「祖母と二人で」が終わると、熊木さんから『次の曲で、“アンコールを除けば”最後の曲になります!」と、アンコール宣言が飛び出しました(笑)。その理由は後で分かることになるのですが。ただ、名残り惜しいなあという気持ちが客席にも熊木さんにもあったようで、ピアノを弾きながら、とある曲を口ずさみ始めました。ピアノの伴奏がうまく弾けなかったようで、「アカペラでいいか」と言って、知らない歌を歌い始められました(笑)。というのも、歌われたのが「埴生(はにゅう)小学校校歌」だったからです。地元の人じゃないと分からないですよね。

♪冠着(かむりき)山に 明けてゆく
 信濃の空よ 限りなく
 真理を求め 美をしたい
 今日も学ぼう 今日も学ぼう
 師のもとに われら集まる
 埴生 埴生 埴生小学校♪

転校しちゃったけど、この「埴生小学校校歌」が好きでたまに口ずさんでいたなんて話をされていたように思います。また、バンマスの森田さんが、熊木さんはずっと家族のこととか故郷のことを話していて、曲の中にも「長野」の景色が歌に残っているんだなあと感じたなんて話をされていたと思います。ボクも同感です、ホント。長野まで聴きに来てよかったなあと感じました。

「次の曲で終わりなんですが、『アンコール!』って言ってもらえると嬉しいです!」なんてお茶目に客席にお願いされつつ、「長野にまだホタルいますよね?」って話題を振って、「」を歌い始められました。アルバム「群青の日々」に収録されているこの曲は冒頭の二胡の音色が印象的なんですが、今回は熊木さんのピアノで二胡の音色を奏でられつつ、引き続き熊木さんのボーカルとピアノ、齋藤さんのギター、そして森田さんのコントラバスで音楽が繰り広げられました。ところどころにコーラスも入って、ちょっとアルバムとは雰囲気が違うように感じて、「森田節」なのかな、なんて感じたところもありました。

曲が終わったらもちろん盛大な拍手が送られました。一度ステージ下手に3人とも下がると、会場からアンコールを求める手拍子が発生。ほどなく熊木さん、森田さん、齋藤さんが再登場されました。熊木さんがマイクを持たれてしゃべり始められたんですが…

「アンコールどうもありがとうございます!(笑) 先日行った20周年ライブではスペシャルゲストとして武田鉄矢さんに来ていただいたんですけれども(髪をかき上げるしぐさをしながら…笑)、実は今日もスペシャルゲストを呼んでます! って言ったら非常に出づらくなると思うんですけど(笑)、私の父、熊木龍男です! おとーん!!」

ちょっとビックリしました(笑)。一般人の熊木さんのお父様がギターを手にステージに上がるという、さすが故郷、さすが地元というアットホーム感です。

杏里さんのマイクをとりあげて、「申し訳ないですね。杏里にアンコールいただいているのに、こんなおっさんが出てきてすみません」としゃべり始められ、なかなかマイクを杏里さんに返してくれない(笑)。

杏里「マイク返してもらっていい?」
龍男「迷惑?」
杏里「迷惑!」

熊木家では「迷惑?」って聞いて、「迷惑!」って答えるのが流行っているようで(笑)。

お父様、リハーサルされに東京までわざわざ来られたそうで、笑い話としてしゃべられてましたけど、すごくバイタリティのある方のようですね。アンコールのステージも緊張していないって話されていました。そんな中、突如、ベンチャーズのワンフレーズを弾かれて、会場から拍手を受けていました。お父様もバンドをやっていたり、音楽が好きだなんてエピソードは耳にしていたんですが、まさか実物(笑)を目にするとは思ってもみませんでした。

20周年ライブの時にバンマス森田さんが初めて会われたときに、もう「お父さん、一緒にやりましょう!」と言っていたなんてエピソードもあったそうです。

お父様はなかなか指が動かないらしく、娘のために一生懸命ギターを練習したとのことで、コードがちょっと簡単な曲としてチョイスされた「22歳の別れ」の演奏が始まりました。メインボーカル熊木龍男、コーラス熊木杏里という父子共演が初披露されました。お父さんもさすがに歌がうまいです。2コーラス目はメインが杏里さんに代わって、龍男さんがコーラスだったんですが、全然違和感ありませんでした。聴いてて楽しかった!

曲が終わった後、「たつおー!」って客席から声が掛かって、すごくアットホームでした。お父様、全然緊張されていなくて、森田さんから「この親あってこの娘あり、なんですね」なんて言われたりもしてましたが、さらにお父様はライブの告知風に「中学からのバンド仲間とともに9月か11月に温泉宿に集まって“二泊三日の合宿”をします」なんて言って、杏里さんに「ライブの告知じゃないのかい!」と盛大に突っ込まれてました(笑)。

次に二人で共演する最後として「心の友~WiLSON~」が歌われたんですが、この曲、デピューしたころに観た、トム・ハンクス主演の「CAST AWAY」という映画に出てくる似顔絵を書かれた「ウィルソン」っていうボールが出てくるんですが、これがかわいくて、「心の友がいたらいいなあ」と思って、お父さんとああだこうだ言いながら作ったなんていう曲紹介をされて歌い始めました。会場からの手拍子に乗りながら、「♪あ~あ~あ~あ~」とコーラスも龍男さんも歌いながらギター演奏され、齋藤さんのギター、森田さんのギターバンジョーがサポートされていました。

2曲歌い終わると龍男さんはサーッと舞台袖に颯爽と消えていかれました。熊木さんから「本当に緊張してないですよねぇ…」なんてボソッと話されたあと、「次の曲で最後になります。どうもありがとうございました!」と会場の皆さんにお礼を述べて、また地元で開催したいという気持ちを話されていました。最後の曲の説明として、「今日は友達も来ているんですけど、長野のこのあたりでミュージックビデオを撮った『七月の友だち』を聞いてください」と言われて曲が始まりました。

「七月の友だち」はリズムを刻む打ち込み音源が流れていたんですが、どちらかというと森田さんのコントラバスがビートを終始刻んでいるのが印象に強かったように感じます。そのビートに熊木さんの軽やかな歌声が乗る感じ。シングルカットされた「七月の友だち」に収録されている音源はゆったりとしたアレンジなんですが、それと比べるとアップテンポで軽やかな感じです。そして、森田さんと齋藤さんのコーラスも入り、非常にかっこよい仕上がりのアンコール曲となりました。

最後にメンバー紹介で、ギターの齋藤さんとバンマス・ベースの森田さんの紹介をした後、「信濃の生んだ、……うーん、これから成長し続けるであろう、熊木杏里でした!」と自己紹介して大きな拍手でコンサートが終わりを告げました。非常に名残惜しかったです。もうちょっと聞いていたかったなあ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

この間開催された『熊木杏里 20th Anniversary Live “今日からの歌”』は、体調を崩していて、せっかくチケットを取っていたのに参加できず、配信での視聴となってしまって、僕としてはこの日のコンサートはその時のリベンジだったわけなんですが、熊木さんが肩ひじ張らずにすごくリラックスして歌っていて、それが歌声にも出ているように思えて、「すごくよかった」としか言えません。うまく言葉に表せないんですが、「よかった」んです。声がのびやか、軽やかだったし、ピアノ演奏も非常に良かった。

そして、「ノスタルジア」や「夏蝉」、「祖母と二人で」など、熊木さんが故郷を歌った曲を、「千曲・更埴」で聴くという体験ができたのが感じられて心に沁みました。熊木さんの地元に来ているんだなあという想いと、熊木さんの声に触れて、先ほども書きましたけど、「夏蝉」では涙してしまいました。

さらに、今回のアレンジがすごくよかった。バンマス森田さんのアレンジなのかなと思うんですが、アルバム収録のものとはちょっと雰囲気が違うものもかっこよくて、個人的には今回のコンサートのライブ盤が欲しいくらいで、今回の構成でセルフカバーアルバムを作ってほしいなとも思っているところです。

今回のコンサートレポートは以上となります。20年ぶりにコンサート中にメモを取ったんですが、自分で書いたメモが読めないという事態に陥り(苦笑)、レポート作成が難航したんですが、ひとまず書き上げることができました。自分自身の備忘録として作ったレポートではあるんですが、残念ながら参加されなかった方などに少しでも雰囲気が伝わればなと思い書き上げました。もし間違いなどがありましたら、コメント欄ででも記入していただけるとありがたいです。ここまで拙文を読んでいただきありがとうございました。

【おまけ】

「信州の幸(めぐみ)あんずホール」の近くの『あんずの里物産館』で、『森将軍塚古墳カレー』を食べました。ご飯の中にチーズが埋まっていて、スコップスプーンで発掘するという食べ方をしてました。今度、来るときは「千曲市(旧更埴市)」をのんびり散策してみようと思います。

2件のコメント

  • ステキなレポートありがとうございましたm(_ _)m
    私も現地におりましたが、当日は「たつお」に全部持っていかれて(笑)、他の場面をなかなか思い出せませんでした。
    が、レポートを拝見し、あの日のことが鮮明によみがえって来ました!

  • 「たつお」さんは全然予期してなかったですから、吹っ飛びますよね(笑)。
    なんとかメモで事なきを得ました(苦笑)。

    読みづらいレポートだったと思いますが読んでいただきありがとうございます。
    あの場にいられて良かったなあとしみじみ思うコンサートでした。

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