スペシャリストからディレクターへ

今日、ふと車を運転しながら思ったこと。

 仕事の話になっちゃいますが、ちょっと前までジェネラリストって言って、全体を見渡せる人材を育成するため、組織の人事ではいろんな部署に就かせて、さまざまなことを経験させるという手法が取られてきたと思います。

 でも、最近ではいろんなことをやらせるのは良いけれども、結局はそれぞれ中途半端になってしまい、その道の専門家、いわゆるスペシャリストが育たなくなるっていうので、最近では同じ系統の部署を回すという手段を取るところも出てきた状況かなあと思います。

 最近、システム開発の指示をする立場になって、内部調整と内部状況の把握、そしてシステム開発は外部なので技術的な部分の外部との調整などをやっていますけれど、全体的に見渡すっていうのは、ジェネラリストもスペシャリストも無いもんだなあと思いました。

 ちょっと週刊エコノミストの9月7日号に2007年問題っていう記事があって読んでみたんですが、これまで動いていた基幹システムを作ってきた団塊の世代が退職していって、だいたい2007年くらいにはいなくなる。それ以降の若い世代に、全体を見渡し、試行錯誤しながらシステムを構築するという技術を伝えられていない状況で、システム的に危機的状況に陥る可能性があるのではないかという意見をされている方がいました。

 そう。僕の仕事相手である外部の方たちも、完全に分業制。システムそれぞれ単位で責任を持って対応してはくれるものの、1つ1つ単独で動くわけではなく、連動している。その辺を調整し、全体を見渡せる「ディレクター」がいないんですよ。これは非常に困る。

 最近の仕事のスタイルは、とりあえず自分の目の前にあるものをこなすっていう感じで、担当制っていうのが強いんじゃないかなあと思います。この担当制って、僕の職業にその傾向が強いんじゃないかなと思ったんですが、そうでもないことが最近分かってきて。

 この「担当制」って非常にやっている本人は仕事がしやすいし、区切りもつくんですよね。

 でも、これをやっている限り、全体的に物事を見渡せて、間違いのない判断をできる人は育たないと思うんです。自分の担当範囲を区切って、その中で物事を見ていくわけだから、勝手に結論を早く出しすぎる傾向があると思います。

 いや、ちゃんとやればできる人はいます。でも、これまで担当制を敷いて、その中でやってきた人が急に全体的な調整、調査をし、結論を導けと言われたってできっこないですよ。

 そんなこんなで、今の社会はディレクター(作っているものの全体を捉える人)やら、プロデューサー(作っているものに関係する人々の間を調整する人。予算等のお金に絡むこともする。)をやれるような、いろんなところに目配りやら、頭が回せる人がいると仕事がしやすくなるんじゃないかなと思います。全体をいろいろ考えられる人になれれば、いろんな仕事に応用は利くと思うんですよね。ま、少なくても判断にブレは少ないし。

 ま、僕はディレクター肌かな。プロデューサーはダメですね(笑)。調整は、人当たりが良さそうに見えるけど実は苦手なので…(爆:疲れるんですよね、これ)

 ディレクターとプロデューサー、勝手にカッコ書きで定義しちゃったけど、こんなことで良いと思うんですけどね。ま、ちょっと長くなっちゃいました。拙文スマソ(笑)。

ショー@オーナー
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