普遍的なものか、裾野を広げるか
J-WAVE TOKYO M.A.A.D SPINの第四週の金曜日に放送される「ゆう坊&マシリトのkosokoso放送局」をようやく夜散歩時に聴きました。
前回に引き続き漫画編集者の鳥嶋和彦さんと、「SPY FAMILY」「チェンソーマン」の編集を担当された林士平さんが、仕事の仕方や、どんな漫画を目指していくかという話をしていたんですが、微妙に噛み合っていない(お互いの考え方が違う)ところがすごく興味深かったです。
ボクとしては、鳥嶋さんの考え方に近く、やはり「子供に対して普遍的な漫画を作る」っていうのを目指してほしいという基本線があるんだなあという印象で、林さんはデジタル化したこともあり、「これまで商業化されていないジャンル(例えば入院経験を伝える漫画とか)など、世の中に伝える漫画の裾野を広げる」ってことを目指されているというのも、目的としては理解できるなあと感じたところ。
さらに、林さんから、最近の若い世代の人たちはこれまで見れなかったような映像などが、ネットなどで普通に観れてしまう環境にあるため、いわゆる「ギリギリ」ラインが低くなっていて、若い世代は、一昔ではNGだとされている部分が、「え? なんでダメなの?」っていう感覚を持っているのではないかと趣旨のお話をされた時は目から鱗でした。なるほど、そのとおりかもなという説得力がありました。
ツイッター(古い)でちょっと書き込んだのを転記しますが、久しぶりに思いを馳せてみました。すみません。ツイッターが先なので、同じことを書いている部分が多いです。にしてもツイッターで長文は難しいですね。先に書いたものを消せないし(笑)。
興味のある方は金曜日までradikoで聴けると思いますので、ぜひお聞きください。
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鳥嶋さんと林さんの話が少し嚙み合っていないように感じる部分が肝の部分のような気がします。林さんの言うようにデジタル化で、これまで出て来なかったジャンル・種類の漫画を読めるようになるってのもなるほどと思う。
でも一方で、鳥嶋さんの言うような子供たちに向けた普遍的な漫画を作り上げるのも重要だし、ボクはどちらかというと鳥嶋さんのスタンスに近いなあ。 個人的な考えで言うと、作品を作る方は「誰も見たことの無いものを作る」ことを目指していると思うんですが、『これまで埋もれていた、言い方は悪いですがいわゆるスキマ的な漫画』なのか、『これまで表現されていなかった新しい漫画』なのかってとこのような気がします。
前者だと裾野は広がるけど消費されるものになるし、後者だと歴史に名を遺すようなものになりえる。とは言いつつ、ボクも病気を体験された方の漫画なんかを読むと共感したりして、ネット上で手軽に読める漫画でも面白いものがあるから、そういった意味で裾野が広がるのは良いことだと思います。
鳥嶋さんも林さんもどちらも正解なのかなと。 ただ、あまり裾野を広げることに目を向けすぎると、消費される作品になってしまうような気がします。 骨太な何かがないと、長く残る作品にはならないだろうし、一定の確率で歴史に残される作品が生まれるわけではない気がする。
根拠があって言っているわけではないですが、肌感覚的に、今は同じ世代間で作品を見せる傾向が強くて、自分の下の世代に見せようとしている人って少なくなっているのかも。子どもも少なくなっていることもあるし。ボクの誤解もあるかも知れませんが。ムズイ。