熊木杏里 歌でたどる”生きるとは”(2024.8.25)

※注意
○このライブレポート(備忘録)は記憶をたぐりながら書いていったものであり、記憶が抜け飛んでいるところなどについては、脚色を施している可能性がありますので、完全なライブレポートではないことをご了解下さい。
〇音楽的な知識はあまりありませんので、誤ったことを言っていることがあります。その辺は気を付けながら(?)お読みください。
○もし間違いを見つけたり、補記できる項目があれば、コメント欄で書いてもらえると嬉しいです。
日時2024年8月25日(日) 開場:18:30/開演:19:00
会場渋谷・7th FLOOR
チケット全席自由:7,700円(税込)+ ワンドリンク(600円)
出演者Vocal, Piano & Guitar 熊木杏里
その他主催:SOGO TOKYO
企画・制作:ワーナーミュージック・ジャパン
後援:ヤマハミュージックコミュニケーションズ

曲目

贈り物
夏蝉
牛乳サンキュー(*)
長い話
私をたどる物語
戦いの矛盾
雨が空から離れたら
君の名前
名前のない雨降り(*)
誕生日
一度死んだ僕ら(*)

アンコール
私をたどる物語(特別ver)
生きるとは

(*)新曲については曲名表記が正しくない場合があります。

久しぶりの参戦

熊木さんのライブは今年の3月に福島県西郷村で行われた「風とロック CARAVAN福島」で何曲か聴かせていただいたものの、熊木さんのワンマンライブは約1年半ぶりとなりました。この間、ほんの少し、熊木さんから遠ざかり気味だった期間かも知れません。

会場が大きくない(100名前後くらいしか入れなさそう?)ためチケットに記載の整理番号順に1階エレベーターから入場者をピストン輸送する形をとっておりました。30分で全員の入場終わるのかなあと心配をしていたんですが、実際のところ開場時間が少し押したので、やはり入場に時間がかかったんでしょうね。

…ということで、開演時間の19時を少し押して、暖かい拍手に包まれながら熊木杏里さんが入場されました。熊木さんの服装は黒とブルーがかった色の上下合わせ柄の上着とスカートに、白いシースルーのワンピースのような薄い服を羽織っていたような気がします(ゴメンナサイ、服装はイマイチ良く覚えてない&分かっていない…苦笑)。 

熊木さんが自己紹介ののち、「急遽ライブをすることになったのは、収録をすることになって…」なんて話をされて、「何に使われるかっていうのはまた後日お伝えしようと思います」っていうようなことを言っていたと思うんですが、実は「後日」ではなくて、今日この後に発表になることを、よく考えれば予測していても良かったんですよね(苦笑)。だって、アルバム作っているって「風とロック CARAVAN福島」で言っていたし。うっかりしてました(苦笑)。

この日は、『歌でたどる”生きるとは”』というタイトルのとおり、いろんな歌が生まれた時のことや、幼少期からの人生を振り返りながら選んで歌っていくようなライブにしたいということをおっしゃった後、最初に歌い始めた曲は「贈り物」でした。この曲は、ボクとしては熊木さんから自分の子どもへ、という捉え方をしていたんですが、どうも自分の親から生まれてきた自分という捉え方での歌唱だったのかなと思います。

熊木さんのピアノと声だけでのパフォーマンス。若干ピアノのタッチミスがあったような気がしましたがあまり気になりませんでした。熊木さんの澄んだファルセット(裏声)が心地よかった。

歌が終わったあと、ちょっといったん間を置いて、意を決した感じで話始められました。長野のおじいちゃんが亡くなられたことがきっかけで「生きる」と言うことを考えたりするようになって、夜中にふと泣いてしまったり、とかもあったということを語られました。

おじいちゃんが亡くなったことをきっかけにして、人生を振り返りながらのライブをするということになりますが、生まれてきて小学校に上がると、自分にとって脅威的な存在である「親」のせいで、しようとも思っていなかった「転校」をしなければならない状況になってしまったなんて話がその後に続きます。

自分はどこで生きたかったのかな」「ここでずっと生きていくと思っていたのにな」という思いを抱いて自分の人生をちょっと揺さぶられるような出来事だったとのお話しをされ、次の曲の歌唱となりました。

故郷長野に思いを馳せた「夏蝉」、という説明をされて歌い始められました。この曲はアルバム『無から出た錆(リンクはアマゾン)』からのチョイスですが、ボクが熊木杏里ファンになって初めて買ったアルバムがこれだったこともあるのと、この曲はボクの地元にも通じる雰囲気があってすごく好きな曲です。

やっぱり熊木さんのファルセット、裏声がキレイでしんみりと聴かせていただきました。

そんな「夏蝉」に続けて、ちょっと明るめのピアノの演奏が流れてきました。「牛乳サンキュー」という曲です。熊木さんから手拍子を求められて、拍手に乗って、熊木さんのボーカルが明るく乗っていきます。

母校の150周年記念で行ったときに給食の話で盛り上がって曲を作ることを約束したのだとか。この曲をどうするかは未定とのこと。

次の曲はギターを弾かれるためステージ中央に移動されたんですが、目の前に最前列のお客さんがいて、「(近くて)大丈夫ですか? 新幹線のボックス席みたいですね?」といった話をされ、「緊張されるようであれば、後ろを向いてもらって良いですからね?」と話して会場に笑いが起こってました(笑)。

「夏蝉」「牛乳サンキュー」と来て、小学校を卒業して、思春期を迎えるころに差し掛かる時期となり、熊木さんは「人生一荒れていたかも」と、ギターをいじりながら、でもちょっと聴いたことのあるフレーズが流れている状態で話をされていました。「良くオカンが泣いてた」とも。親の心配をよそに「今日は朝帰るから!」なんてことをしていたんだとか。「今ではオカンの気持ちがよーく分かる」と話していましたが、当時は分かっていなかったとも。

そのころである、17歳のころからのことを書いた曲、「長い話」をギター弾き語りで披露されました。前奏のメロディを口笛を吹かれていたと思います。この時の歌は通常バージョン(22才まで)での演奏でした。熊木さん、ギター演奏が上手くなったと思いますが、演奏後、「ギターはさらなる進化を遂げていきたいと思います!」とおっしゃっていてまだまだ上達されたいんだなあと感じました。

22歳になって「何かになりたい(「長い話」の歌詞のラスト部分)」と思って、武田鉄矢さんの事務所に入って頑張っていこうとしたわけだけれど、生意気で気が強かったので、武田さんにあいさつに行ったときに、いきなり「オレに頼るな」と言われて『なんだよう』と思ったというエピソードがあったことが語られていました。でも、それと同時に良い歌と出会えたとも。”この曲”は中国でも人気があって、みんな歌詞をちゃんと調べて理解してくれているという話をされていました。

歌詞から引用して「違う親から生まれていたら、違う自分になれたと思ったことはありませんか?」と客席に問いかけ、「私はあるなあ。もっとお金持ちの家に生まれていたら違ったんじゃないかと思ったりして、でもそんなこと言ったらオカンが死んじゃうんじゃないかと思って言いませんでしたけど」なんて言っていたのが印象的でした。ボクも同じように思ったことあるなあ。でも、そうなったらボクじゃなくなるんだよね。

そんなお話に続いて、ピアノの弾き語りで「私をたどる物語」が歌われました。この曲はボクのファンになったきっかけの曲で、地元の朝刊にたしか、3年B組金八先生の挿入歌で使われているなどの説明で、この曲が特別に収録されたアルバム「無から出た錆」の紹介記事を目にして、CDを買ってみたという経過があって、ボクにとって思い入れの強い曲であり、改めて生で聴けて嬉しかったです。

曲を歌い終わると、CDジャケットの話になり、ジャケットの熊木さんの顔が大人びていて、当時は「子供がいるのではないか?」と囁かれたことがあるなんて話をされていました。確かに、今の方がすごく若々しく見えるし、たしか当時はジャケット撮影の時に自然な笑顔が作れないってお話をされてて、笑顔ができるようになったのは「新しい私になって(2006)」からだって話をされていた記憶があります。

その後、何もしないで生きるのはどうなのかと、拉致被害者の横田早紀江さんの本を読んでみたり、国会議事堂の前での抗議活動に参加してみたりして、隣にいるおじちゃんに「なぜここに来たの?」と聞かれて、「なぜって言われても。来たいから来たんです」と答えたなんてエピソードを話しつつ、その時に感じたことを「戦いの矛盾」で表現したとお話をされ、ピアノ弾き語りをされました。

曲が終わるとSBCラジオなどで放送されている番組「夢のある喫茶店」が放送1,000回を迎えたとの報告があって、会場から大きな拍手が送られました。客席の前方にいらっしゃる方がそのための横断幕のようなものを作られてこられて、熊木さんに「私がこの話をしなかったらどうしたの?」とツッコミを受けてました(笑)。ラジオが始まった当初はラジオは大嫌いだったなんていう話もされていましたが、今では大好きになったそうで、SNSとかで伝えるよりラジオで話したいと気持ちの変化があったとおっしゃってました。

次の曲はギターに持ち替えての演奏ということで、ギター前まで移動されたあと、熊木さんは演奏前に、中島みゆきさんの「ファイト」のような曲が作れたら一番良いんだけど、応援するのにいろいろ考えてしまってなかなかできなかったなんてことをおっしゃってました(実はこの時、熊木さんも大成建設のCMで使われた「ファイト」って曲をつくっているじゃんって心の中で突っ込んでいたのは秘密…笑)。この曲で初めて人に応援する曲を作ったとの話をされた後、「雨が空から離れたら」のギター弾き語りを始められました。ちなみにこの曲はギターで作られたと話されていて、初耳情報で少しびっくりしていた記憶があります。

ピアノの前に戻られて、引き続きトークをされるわけですが、会場の7th FLOORに来たのが20年くらいぶりだとの話をされて、「モウイチド」のプロモーションビデオの撮影で来られたなんておっしゃってました。また、今日の会場はいろんな椅子が用意されていて、背もたれのない椅子があったことから、「一度立ちます?」なんて気遣いをみせる熊木さんがおりました。

社会のことを考えた後、女の子の場合は恋をする場合もあるわけで、そういう時期もありますよねってことで歌われたのが「君の名前」でした。数少ない恋愛ソングだと自ら話され、自分の恋愛経験からの曲だと暗に話されていたような気がします。

引き続き、印象的なピアノの強い音色から始まった曲は「名前のない雨降り」という曲だそうです。新曲なのだろうと思います。最近、清水健さんという方と組んでトーク・ライブをされているのには行っていないので、そちらで公開されている可能性があるかも知れません。すみません。正確なところは分かりません。途中、ピアノ演奏で強い音色の部分でブレイクが入ったところが印象的でした。

熊木さんから、恋愛やら失恋などを経て、孤独を感じることがあって、そんなときは黙々と曲を作るという作業があったのが自分には良かったというお話をされ、その後めでたく(?)結婚をすることができたなんていう話に移っていきます。

熊木さんは「1ミリも結婚するつもりはなかった」ということを言っていましたが、「寂しいなあと思った時に出会った人に救われたことがある」なんてことも言いつつ、名曲「誕生日」の話に変わっていきます。目の見えないファンの人から「耳で聴いて楽しんでいる」と言われて衝撃だったと話され、そのファンの人のために作ったというエピソードを話されました。

ちなみに、ということで今日、誕生日の人を会場のみなさんに聞いたところ誰もおらず、8月生まれの人を聞いたら2名くらい手を挙げられてました。誕生日の方に向けられて、なんてのもありつつ、ギター弾き語りで「誕生日」の歌唱をされました。

次の曲はいったん最後になるけれどと、暗にアンコールがあることを示唆しつつ、最近発生した大事件である「コロナ禍」の時の想いを新しい曲として作った、という説明をして「一度死んだ僕ら」という曲を歌われました。ちょっと力強いピアノの音色と、熊木さんのボーカルもちょっと力強い感じだったように思います。

熊木さん、会場の拍手を背にしながらいったん退場されて、アンコール期待の手拍子の中、再入場されました。

武田鉄矢登場!

すると、ちょっと予期していなかったビックリなことが起きました。

サプライズでゲストを呼びたいと思います! 武田鉄矢さんです!

!? 2年前の20周年記念コンサートで武田さんが来られていましたが、100名前後の小さいライブハウスに武田さんが来られると思ってませんでした。関係者席でライブもご覧になっていたのだとか。全然気づきませんでした。

熊木「今日は来てくれると思ってませんでした。
武田「オレもあんまり来るつもりはなかったんだ…笑
熊木「何てこと言うんですか!…笑

熊木「ライブ聴かれていかがでしたか?
武田「オレに甘えるな、と言った時から……笑

なんて発言で会場が大笑いでした。20周年ライブの時は配信で観たんですけど、その時は武田さんとのやり取りはまだまだ緊張していそうな感じがあったんですが、この日はものすごくフランクにお話をされていて、全然わだかまりとかなにもないように感じて、ものすごく雰囲気が良かったです。

武田さんから熊木さんがライブやらコンサートの経験を重ねていくことによって、「(熊木さんの)歌自体が強くなっている」という話をされていました。武田さんご自身はそういうことができないんだけれど、なんておっしゃいながら、熊木さんの歌の強さをおっしゃってました。

一方、熊木さんからも武田さんを前にして『生きるとは』なんていうのは、金八先生みたいな感じで怒られるんじゃないかとか思っていたなんて話をして、武田さんも「オレの専門分野だからねえ」なんて反応をされて会場から大笑いを誘うなんていうやり取りがものすごく心地よい時間だなあと感じてました。

さらに、熊木さんが、「武田さんの『生きるとは』を聞きたい」という話になって、武田さんが「20代のころは、映画に初めて出ることになって、目の前に高倉健さんが目の前にいて膝頭が震えたのを覚えている。」「30代の時は、音楽番組に出た時に、美空ひばりというおばさん(実際に「おばさん」呼ばわりしていたはず…)と共演して『私の弟の名前も”てつや”と言うの』って言われた」なんていうエピソードトークをおっしゃっていました。

続いて武田さんが熊木さんに「お前、40代の時の話をしていたよな? 40代の時は、オレはトラックの前に飛び出してたよ」っていう話で会場が沸きました(笑)。フジテレビ系列で1991年に放送されたドラマ『101回目のプロポーズ』の有名な場面ですよね。武田さんがトラックの前に飛び出して、『ボクは死にません!』と言ったセリフはものすごく有名でした。(年代が違うと分からないかもしれないけど…)

武田さんの話が続くんですが、武田さん自身は浮き沈みが激しいなんて話をされてて、海援隊が全然売れていなかったなんて話をしつつ、熊木さんが武田さんの事務所に入るときに、武田さんから熊木さんに好きなシンガーについて尋ね、普通はお世辞でも「海援隊が好き」というのに、熊木さんが「井上陽水」と答えてこの野郎と思った(笑)、なんて話をされていました。若い時に、田舎町で村民の方に野外ライブをしたことがあって、井上陽水さんの前座をされたそうですが、前座の海援隊の方が受けたなんて話をされてて、都会的な歌を歌う井上さんの曲は村民には受け入れられていなかったなんてことがあって、熊木さんが「井上陽水」さんの名前を挙げられて、若干「何だよ」と当時思ったことを、半分本気、半分冗談みたいな感じで楽しくお話をされていました。

そうそう。武田さんが影響を受けた歌手の話も出て、実は三波春夫さんだったという話をされたのが面白かったですね。”(三波さんは)自分のことを一切歌わない人”だという話をされてて、確かにそうかもなあと思いました。海援隊メンバーからも、井上陽水とか財津和夫とかは自分のことを歌っているが、武田さんは歌っていないと言われ、「じゃあ、オレは何をしているの?」って聞いたら『演じている』と言われて、武田さんも腑に落ちた感じだったようです。

それではと、武田さんから「荒川の土手で、中学校の先生が不良の少年に向かってとくとくと人生を説いているっていうそんな夕暮れを描きながら聴いていただくとさらに名曲度が増すと思います」と話をされて、アンコールの「私をたどる物語」の武田さんの朗読、熊木さんの歌唱に入るわけだったんですが…

意思疎通がうまく行かず(というか熊木さんの勘違いかな…)、武田さんの朗読と熊木さんの歌がかち合ってしまう事態に(苦笑)。熊木さんが「間違えちった!」と言って会場が大笑い。テイク2が行われる騒ぎとなりました(笑)。武田さんも「歌うところはオレが合図するって言ったじゃない!」って突っ込まれてました(爆)。

そんな経過を経て、ようやくアンコールの「私をたどる物語」に入ることとなりました。

武田さんが冒頭に詩を朗読され、武田さんの合図を経て(笑)、熊木さんが歌いだされました。途中、武田さんも歌いだされたあと、会場に歌いだしに歌詞をおっしゃって、観客の皆さんと大合唱となったのがすごく心地よかったです。ものすごく一体感があってよかった。

1番を歌われたあと、武田さんから「少女版の詞があるんだ。そっちもやってよいか?」と提案がなされ、引き続き、少女版の朗読がなされました。少女版の朗読は初めて聴いたかも知れません。詞はもう覚えてはいませんが、なかなか聞けない朗読だったと思います。作詞された武田さん本人の朗読はものすごく味がありました。やっぱり金八先生を思い出しちゃいます。

2番も後半から会場のみなさんとの合唱となりました。本当に一体感があってよかったと思います。この「私をたどる物語」に参加できてよかったなあと感じました。この歌に参加できただけでも来る価値があったなあと思います。

歌が終わって武田鉄矢さんを送り出したわけですが、熊木さんの目がうるうるされているのに気づきました。本人も、「素晴らしいですね。なんか泣きそうになっちゃいました。娘さんの方の朗読なんかは身に覚えがあるというか…」っておっしゃって、「長い話」を歌うときにそんなお話もあったので、思うところもあったんだろうなあと感じました。

最後の曲を迎える前に、お知らせが入りました。今日のライブの模様も収録されるアルバム『生きるとは(リンク先はアマゾン)』が11月27日に発売されることが発表されました。そしてアルバムのタイトル曲である『生きるとは』を歌い始められました。

この『生きるとは』の歌詞はものすごくストレートな歌詞だなあと感じました。「生きるとは働くことですか?」「それ(生きるとは)は父親になることですか?」と、いろいろな人の『生きる』をストレートに伝え、最後に自分(熊木さん)の『生きる』に戻ってくるような歌だったんじゃないかなと思います。

これはボクの推測ですが、最近おじいちゃんが亡くなり(身近な方が亡くなるのは初めてと過去におっしゃっていた)、他の方もいつかは亡くなってしまうんだと「死」を意識してしまったんじゃないかなと。親御さんだってそれなりの歳になられているし、熊木ファンもこの日の7th FLOOR内を見渡しても、私より年上の結構年配の男性が多い(苦笑)。もちろん今日、駆けつけてくれた武田鉄矢さんももう75歳になられている。身内や応援している方、いろんな方をひっくるめて、どうか元気に長く生きてほしいという「願い」が込められているのではないかなと、ボクなりに感じた曲でした。

この曲を歌われる前にボソッと『いい時間だったなあ。先輩って良いですよね』っておっしゃっていたので、熊木さんの感情を紐解いてみました。ハズれていたらゴメンナサイ(苦笑)。

だから、これまでの曲とはちょっと違うような感じがしました。こんなストレートな歌詞だったかなあ、なんて思っちゃいましたけど、同年代のボク(いや、熊木さんよりちょっと上じゃないかと指摘しないで…笑)も、親の通院に付き添ったりなどしていて、「生きるとは」というのを日々感じているところもあって、ボクの今の状況にフィットしている曲で、これはこれで良いなあと感じています。

そんなことですべての歌唱を終えられた熊木さん、ちょっと泣かれておりました。最近、元気がなくて、弱音も吐けなかったけど、このライブで武田さんにも来てもらって少しホッとしたとおっしゃってました。何があったのかは分かりませんが、熊木ファンは引き続き応援しますので、愚痴りたいときは愚痴りましょう(笑)。ラジオ「夢のある喫茶店」で愚痴っても良いじゃないか、とか。ちょっと無責任かな?(苦笑)

そんなこんなで以上、ライブは終了となりました。曲目だけで見ると、ちょっと曲数は少なめのライブだったかなと思いますが、熊木さんと武田さんのトークライブも含めるとそれなりのボリュームになって満足感も得られました(そもそもボクは生で初めて武田さんを見たのもあるので…笑)。ライブも約1年半ぶりで、熊木さんの声も良かったし、久しぶりに聴くような古い曲もあったし。個人的には、「飾りのない明日」が聴きたい自分がおりましたが、ファンのきっかけになった曲「私をたどる物語」が聴けたのと、「戦いの矛盾」が久しぶりに聴けたのが良かったなあと思いました。

すみません。熊木さんのトーク部分を追いかける感じになったレポートになってしまい、文字ばかりになってしまいました。ちょっと読みづらいかも知れませんが、全部は追いきれないものの、ライブの雰囲気は伝わるのではないかと思います。ニューアルバムにこの模様が収録されるので、それまでのつなぎとしてレポートを読んでいただけると幸いです。拙い文章をお読みいただきありがとうございました。

2024.08.30 15:00 掲載

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5件のコメント

  • 私は熊木杏里ファンで夢のある喫茶店のヘビーリスナーです。セットリストからライブの進行状況、熊木さんの話したことまで、わかりやすくレポートしていただき、ありがとうございました。私は抽選にもれてライブ参加できなかったのですごくありがたです。武田鉄矢さん登場の噂も聞いていたのですが、やりとりが、ほっこり、じんわり、しんみり滲んで、すごく良い雰囲気が伝わってきました。11月27日のアルバム発売日まで待たなければ、と思っていましたが、7thfloorのライブ行けた気がしましたよ。随分前倒しで予習ができました。すばらしいレポート本当にありがとうございました。感謝のコメントでした。

    • >神じいとなっちゃんさん
      そう言っていただけると嬉しいです。
      今回は映像化されるという話なので、あまり細かく書かなくても…とも一瞬思ったんですが、書いておいてよかったです。
      ライブの雰囲気がホンの少しでも伝わったのであれば、本望でございます!

    • あ、ひとつ忘れてました。
      ラジオでお名前は伺っておりました(笑)。
      最近、ラジオの方にボクは全然投稿しておりませんで…(苦笑)

  • こんばんは。
    今回のライブは行けなかったのですが、SHOさんのレポートで雰囲気がよくわかりました!
    特に武田鉄矢さんのとのやりとりの部分、情景が目に浮かびました。
    ステキなレポート、ありがとうございましたm(__)m

    • >元気っ子さん・おかべさん
      そういっていただけて嬉しいです。
      武田さんとのやり取りがものすごくフランクにお互いお話をされていて、すごくいい関係だなあと思ったのが印象に残ってます。

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