風とロック CARAVAN福島 at 西郷村文化センター(2024.3.16)

※注意
○このライブレポート(備忘録)は記憶をたぐりながら書いていったものであり、記憶が抜け飛んでいるところなどについては、脚色を施している可能性がありますので、完全なライブレポートではないことをご了解下さい。
〇音楽的な知識はあまりありませんので、誤ったことを言っていることがあります。その辺は気を付けながら(?)お読みください。
○もし間違いを見つけたり、補記できる項目があれば、コメント欄で書いてもらえると嬉しいです。
日時2024年3月16日(土) 開場:12:30/開演:13:00
会場福島県西郷村・西郷村文化センター
チケット無料
出演者出演(ライブ部分)
パーソナリティ 箭内道彦
ゲスト 熊木杏里、藤井敬之(音速ライン)
その他主催:福島民報社
協賛:かんのや、大清プロダクション、ランドセルの榮伸
後援:西郷村

曲目

(藤井さん出演部)
ありがとね(作詞 箭内道彦/作曲 藤井敬之)
2061年のラブソング(作詞 箭内道彦/作曲 藤井敬之)
久しぶり(作詞 箭内道彦/作曲 藤井敬之)
生きてくことは(作詞 箭内道彦/作曲 藤井敬之)
箭内さんへの誕生日ソング

(熊木さん出演部)
新しい私になって(作詞 中島信也/作曲 熊木杏里)
You don’t know(作詞 箭内道彦/作曲 箭内道彦)
生きかけとして(作詞 熊木杏里/作曲 熊木杏里)
hotline(作詞 箭内道彦/作曲 箭内道彦)

(おかわりタイム:放送後)
はたらきあり(熊木さん新曲)
hotline(箭内さん、藤井さん、熊木さん3人で歌唱)
終わらないで(箭内さんが作った曲)

1週間ですが、radikoプレミアムで聴き返すことができますので、ぜひお楽しみいただきたいです!

藤井さんのパート

今回はあまりレポートっぽくないレポートにしようと思います。お気軽レポート。

生放送の番組だったんですが、前半の1時間は地元の方とのお話をするもの。西郷村の村長さんと商工会の青年部の方、そして子育てをしながらコメを作っている女性の方の3人の方が箭内さんとトークを繰り広げていました。前半は省略させていただいて、と。

後半、音楽ライブパートに移って、まず音速ラインの藤井敬之さんが出て来られました。

普段だとステージ上はゲストミュージシャンのみで箭内さんは引っ込むようなんですが、箭内さんと一緒に歌うつもりで来たという「無茶振り」を最初に宣言されて、「オレ、ちょっと休憩しようとしたのに」とおっしゃった箭内さんに対し、「(速攻で)ダメです!」というやり取りをされて箭内さんタジタジとされてました。

最初に「ありがとね」を藤井さんのギターと歌声に追いかけて、作詞をされた箭内さんに歌詞を読み上げてほしいというお願いをされて、ちょっとだけ練習をしたあと、練習をしているのかどうか分からないうちに曲が始まった感じでした。

藤井さんのちょっと裏声がかった歌声の後に、同じ歌詞で箭内さんの朗読が後を追いかける感じのあまりないパフォーマンスの仕方でした。歌詞を作った箭内さんが、震災での体験を共有するような歌詞を、同じく地元福島の藤井さんと、福島で歌い、読み上げるってのは、ボク自身も福島出身で震災を体験した者としてはグッとくるところがありますね。

続く「2061年のラブソング」って、震災というか原発災害から50年後、どうなっているのかという設定で作った曲だそうで、番組の冒頭でラジオにメッセージを寄せられたリスナーの方で病気で戦っている方へ「頑張れー!」と応援したんですが、その方をモチーフにして作られた曲だそうです。この「3月」に歌うのに意味がある曲だとおっしゃってましたが、まさにそうでした。この曲を藤井さんと箭内さん二人で歌われてました。

藤井さんのちょっと高い半分ファルセットのような声と、箭内さんの歌声。二人の声と、途中、箭内さんが、おそらく胸いっぱいになって声にならなくなっているようだったのを見て、ボクもやられてしまいました… すごくお二人のデュオ、心に沁みました。

当時、福島にいた方はこの曲も沁みますね。原発事故で「子供がもう産めないかもしれない」って話、確かにそういう話があったのに、聴くまですっかり忘れてしまっていて地元に住む者として少し恥ずかしかったです。でも、誰しも経験のしたことのない「原発事故」で、どうしてよいか分からない混乱のさなかを経験したことなどを振り返ってしまって、胸がいっぱいになってしまいました。

次に「久しぶり」は、この『風とロックCARAVAN』がコロナウイルスの感染爆発の関係で影響を受けて、歌のパートをステージ上で後ろを向いて歌ったことがあって、その時に作った曲ではないかというお話をされながら、藤井さんのギター・歌、箭内さんも藤井さんの楽譜で歌詞を眺めながら、ところどころ歌う感じのパフォーマンスでした。

歌の後に箭内さんが「コロナで会えなかった時間が、時が止まっていたなんて思いたくないよ!」「無駄に過ごしていたわけではない」って気持ちでこの曲を作ったってお話を言われていて、コロナも震災と似たような感覚があったなあと、この言葉にハッとさせられました。

radikoで聴き返して後から思い出したんですが、曲の最後で「おかえり」と何度も繰り返すところがあったんですが、藤井さんと箭内さんで目配せして、交互に「♪おかえり」と歌われていたのを思い出しました。打ち合わせをしていないようだったので、その時の感覚でそのようにされたんでしょうね。

藤井さんが、震災後に懸命に生きている箭内さんを想って、この「生きてくことは」という曲を一緒に歌いたかったらしい、ということをおっしゃっていたと思います。

途中、藤井さんが「間違えちゃった」とギターを止めてしまったんですが、箭内さんが間髪入れずに「間違えてないよ」と優しい口調で返して、すぐに曲に戻るなんて一幕もありましたね。歌詞は、優しいようで、厳しいようで。

「♪いちばん嫌いなもの/取り戻せない時間」「♪生きていくことは/後悔を減らすこと」

藤井さんが、震災後に箭内さんと一緒に作った歌を聴き返すと、今の箭内さんの状態になっちゃうとおっしゃっていて、ハッキリとはおっしゃっていなかったですけど、「オレのやっていることはこのままでいいのか?」と常に自問自答していらっしゃるのかなと感じて、そのアンサーとしての「生きていくことは」を一緒に歌われたのかなと思います。

この曲も箭内さん、途中声にならない感じになっていたように思います。

ラストに50歳の藤井さんが、60歳を迎えられる箭内さんに向けて、ちょっと早いけどバースデーソングを贈られてました。10歳差だったんですね、お二人。気持ちの上はもっと近いような感じが、この共演では感じられました。「♪箭内さんおめでとう/59歳のCARAVANを楽しんでください~」って歌を歌われ、徐々に会場から手拍子が自然発生して、ちょっと早い誕生日のお祝いをされました。

箭内さん、あまり誕生日を祝われるのはお好きじゃなかったそうなんですが、自分を生んでくれた親だったり、助けてくれる仲間のことや出会ってくれる人たちのことなんだなと感じたら誕生日の捉え方が変わったとおっしゃっていたのが印象的でした。

熊木さんのパート

素敵な藤井さんと箭内さんの共演の後、熊木さんの出番ですが、インターバルでお便り紹介となりました。その最中に、ステージ中央にデジタルピアノが置かれ、ステージ中央で真正面を向いて弾き語るようなセッティングがお便り紹介中になされました。

熊木杏里さんが登場です。

今回は写真撮影NGとのことで写真はないのですが、熊木さんって結構髪の色を抜いてらっしゃったんですね。髪の表面を青みがかったシルバーっぽい色が乗っている(表現の仕方が分からない)感じで、デビューしたての頃の雰囲気がちょっと感じられたような気がします。

服装は上はホワイトをベースに赤のラインの入ったジャージと、青地のジーンズ(違うかも…)だったんじゃないかな。ちょっとラフな感じの服装をされていたと思います。ツイッターで藤井さんと打ち合わせの時の写真が載っていましたが、その時の服装とは異なっていたので、出演用の服としてチョイスされたと思うんですが、特に服装の言及はなかったと思います。(新聞に写真が掲載されていてそれを熊木さんが拝借ツイートをしていたのでそれを拝借します…笑)

そうそう。ボクの勘違いも入っているかも知れませんけど、熊木さんの表情が笑顔はいつものようだったんですが、視線がちょっと強かったような感じに見受けました。なんかキリっと締まった目線というか。ちょっと若い時の表情が入っていたような。髪色が明るくなっていたからそう見えたのかも知れません。いや、後から出てきますが義理のご両親がいらっしゃっていたので少し緊張されていたのかな?

歌に入る前に、箭内さんと2011年9月の県内縦断のロックフェスのうち、南会津であったときに初めて熊木さんが参加された時のことや、箭内さんが「熊木さんは(話しぶりが)男前だよね~」なんて話をしつつ、熊木さんオンリーのステージへと移ります。

最初、資生堂のCMソングで使われ、注目されるきっかけとなった「新しい私になって」の歌唱となるんですが、演奏をし始めようとしたら、デジタルピアノのペダルが機能しないと感じたみたいで、「あれ? サステインが効いていない?」って状況だったんですが、スタッフさんが駆けつけて配線をつなぎ直したりいろいろ試して、何とか復旧しました。

ボクが聴いた感じだと、もともとファルセット(裏声)が多い歌声の熊木さんですが、若干ウィスパーボイスが強めの歌唱だったように感じました。いつもよりちょっとささやく感じの声が多かった印象がありました。

次の曲に入る際、以前、箭内さんのラジオ番組に出た時に弾き語りをした曲をこれから歌うという話をされたんですが、その直後にカミングアウトをされて、旦那さんが福島県郡山市出身だという話をされました。

あとから話に出てくるんですが、旦那さんが箭内さんの高校の後輩だそうなんです。しかも、さっき触れちゃいましたが旦那さんのご両親が会場に来ているというサプライズ。福島に縁を持っていただいているのは、福島県出身のボクとしてはうれしい限りです!

そんなサプライズがあったあと、怒髪天の「You don’t know」をピアノ弾き語りで歌ってくれました。この曲、箭内さんの作詞・作曲だったんですね。元の怒髪天が歌うバージョンとはちょっとメロディをホンの少し変えて歌っていたと思います。前回、2019年の昭和村でのCARAVANでも同じように歌ってらっしゃいましたね。現地ではこの時には聴けませんでしたが、良い曲だなあと思いました。

後から曲順を調べてみたら、通常の熊木さんの歌と作詞作曲が箭内さんの曲を交互に挟めて歌われていました。番組の最後に熊木さんはおっしゃってましたが、せっかくだから箭内さんの曲を皆さんにお届けしたいというお話をされていたように思います。

続いて、「生きかけとして」に移るわけですが、10歳になるお子さんがいらっしゃる話をして、子供に対して、つらいことがあるかもしれないけど、自分自身、なにくそと思って生きてきたから、「生きている途中の者として」として、子供に向けて曲を作ったというお話をして歌い始められました。

今、radikoプレミアムで聴き返しながら書いているんですが、現場で聴いていた時は、もちろん熊木さんの表情とかも見えるんですが、どうしても演奏と歌声はスピーカーを通して聴こえるため、ちょっと籠もるように聴こえてしまうんです。音だけで考えれば、実はラジオで流れているものの方が耳に入る音質は良いです。でも、やっぱりライブは、生の空気感を感じるものですよね。同じ場所で聴いているからこそ、ってところはありますよね。

曲が終わると、熊木さんがしゃべられて、音速ラインと柴田淳さんとかとデビューが同じ時期で、デビュー当時はよく顔を見かけたらしいんですが、それ以来、藤井さんとは約20年ぶりの再会だというお話をされました。箭内さん繋がりでこうやって再会してお話しできるのがうれしいとのこと。

そのあと、次に歌う「hotline」のことへと話題が変わります。熊木さんのおじいさんがお亡くなりになっていて、身内が亡くなるってことが初めてだったとのことを触れつつ、この曲は大切な人のことを想ったり、思いを馳せたりする、そんな曲なんだろうなあと話されて、歌い始められました。

この曲は箭内さんの作詞作曲です。TBCのCMソングで使われた曲ですが、ものすごくストレートな歌詞で、「♪死ぬの 死ぬの ぼくら いつか」ってある意味すごくショッキングなワードチョイスをしていてビックリしたんですが、福島県の特に浜通りでお住まいの方で被害に遭われた方にいろいろ話を聞いて、作られた曲なんだろうなあと思うと、やっぱり「この風とロックCARAVAN福島」で聴くとものすごく心に沁みます。熊木さんは、歌った後、「箭内さんが歌ったhotlineを聴きたい」とおっしゃってましたが、今、調べてみたら、過去に箭内さんバージョンが福島でのライブで披露されていたみたいです。でも、実はこの後……

「hotline」が終わって、箭内さんがステージ上に戻ってこられたんですが、おそらく「hotline」で胸いっぱいになってらっしゃったみたいで少し鼻声気味に、「心に震えるのと、心に沁みこむのが同時に来るのってなかなかないです」って熊木さんに対しておっしゃっていたのと、箭内さん作詞作曲の歌を歌ってくれる熊木さんに、「他の曲を歌ってくれても良いのに」という気持ちと、「(熊木さんが歌う自分の曲を)聴きたかった」という気持ちがあったことを話されていましたね。

そうそう。先ほど話に出た、熊木さんの旦那さんが箭内さんの高校の後輩だという話になって、「親戚のおじさんになった気分で嬉しい」っていう話もされてましたっけ。放送の中で、旦那さんのお父さんとお母さんが来ていらっしゃっることも触れてらっしゃいました。

そんなことを話しつつ、放送が終了となりました。良い2時間だったんですが、この後、おかわりタイムに入ります。

おかわりタイム

藤井さんのパートでも少し触れたんですが、ライブパートの冒頭に、闘病をされていて参加できなかったリスナーの方のお便りを読んで、放送中にみんなで「頑張れー!」とメッセージを送ったんですが、それに対して番組のラストに、お返事をいただいていて、箭内さん、それを読んでいて泣いてしまいそうになってしまうので途中で読むのを諦めてしまったんですが、番組終了後に再チャレンジをして、やっぱり泣きそうになってしまいそうになるなんて一幕もありました。失礼ながらちょっと笑ってしまったんですが(苦笑)、箭内さん曰く、これまでこのラジオ番組をやっていてこんな状況になることはなかったそうなんですが、「hotline」で撃沈していたんでしょうね(笑)。

そのあと、おかわりタイムと移るんですが、それぞれ1曲ずつだともったいないということで、熊木さんがまず1曲、そのあと熊木さんと藤井さんで一緒に1曲、最後に藤井さんで1曲の計3曲をやりましょう、ということになるのですが、実はそうなりませんでした。良い意味で。

最初、熊木さんがひとりでピアノ弾き語りです。退職したお母さん、というか、熊木さんの言い方で「おかん」とおっしゃってましたが、少し楽になった「おかん」を見て作った、「はたらきあり(働き蟻)」という歌を初披露してくれました。

素敵な曲だったと思いますが、さすがに覚えてなくて…(苦笑) ちょっとお母さんを見ながらやさしい気持ちを歌っていて、ボクも熊木さんと同年代なので、たぶんお母さんも同じくらいの年齢なんだろうと思うんですが、ボクも沁みました。

歌が終わると、熊木さんの旦那さんのお母さんが花束を用意されていて、熊木さんに手渡しする一幕も。

そのあと、藤井さんが再登場されましたが、藤井さんと熊木さんで打ち合わせをしていて「hotline」をやろうと決めていたようです。ただここで、藤井さんの無茶振りが発動します。「『hotline』が実は大好きで、熊木さんのバージョンの『hotline』も好きなんだけど、箭内さんが歌ったらどうなるんだろう、と思って…」っていうことを言って、「普段、オレ歌わないんだよ?」と箭内さんはおっしゃったんですが、「ワンコーラスだけやりましょう」と話されて、みんなで歌われ始めました。

熊木さんはハンドマイクを左手に持ちながら、右手でピアノ伴奏をされていて、あとで箭内さんがその様子を「大好物!」なんていう話をしていたのと、「ワンコーラス」と言いつつ、箭内さんが乗ってきてツーコーラスにおひとりで入ったのに反応して、熊木さんと藤井さんの歌声が後に続いていくなんてのもあって、なかなか聞けないバージョンの『hotline』を聴かせて頂けたと思います。なかなか貴重な「hotline」でした。

で、この後は藤井さんのみの番だったんですが、本編と同様、箭内さんをこき使うため残ってもらい(笑)、せっかくなのでと熊木さんにも参加してもらうという特別バージョンで、「終わらないで」というおそらく箭内さんが作った曲を、また3人で歌うこととなりました。箭内さんも「いつか熊木さんに歌ってほしい」っておっしゃっていたと思うんですが、熊木さんも初めて聴いた曲みたいで、1回、藤井さんの歌を一節聴いて、あとピアノで「Cコードをずっと弾いてもらえればいい」っていう無茶振りを伝えて(笑)、3人で歌い始められました。熊木さんのツイートと、下の福島民報の記事ツイートの写真は、その時の写真だと思います。(残念ながらこの「終わらないで」の楽曲が探し出せませんでした。)

涙腺ゆるゆるの箭内さん、途中歌えなくなって、ところどころ休まれながらの歌唱だったと思います。それも込みでこの日のライブは雰囲気が良かったなあと思います。

福島県に住んで、東日本大震災に遭い、福島第一原子力発電所事故を体感したひとりとしては、この箭内さんの「風とロックCARAVAN福島」の取り組みはすごくありがたいです。熊木さんの出演回だけ参加となってしまってはいますが、また、機会があれば参加したいなと思います。

そうそう。今回は曲の音源がYouTubeにあるものはリンクしてみました。レポートを見ながら曲も楽しんでみていただければと思います。

2024.03.18 01:00 掲載
2024.03.20 20:00 校正
2024.03.20 22:10 追記

ショー@オーナー
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