ゲーム音楽の先駆者
すぎやまこういち先生が9月30日にお亡くなりになっていたというニュースが入りました。
ドラゴンクエストの音楽はもとより、JRA競馬の中山競馬場で流れるファンファーレや、「恋のフーガ」「学生街の喫茶店」「花の首飾り」などのGSサウンド、いわゆる今のJ-Popの礎を築いてこられた方と言っても過言では無いんだろうと思います。
ボクにとっては、初めて買った音楽ソフトがドラゴンクエストだったほど、ドラゴンクエストの音楽がボクの青春だったと言ってもよいくらいで、すぎやま先生の訃報は大変ショックです。何度かツイッターで言ったことありますが、それぞれ一度だけですが一緒にお仕事したり、お食事を一緒にさせていただいたこともありました。それだけに寂しい思いが強いです。
すぎやま先生はゲーム音楽の先駆者だとボクは思っています。ドラゴンクエストが発売されるまでは、ゲームで流れる「音」はいわゆる『ピコピコ』だった訳ですが、ドラゴンクエストで初めて『ゲーム音楽』というジャンルを確立された第一人者であり、また、その後、「ファミリークラシックコンサート」と題して定期的にオーケストラでドラゴンクエストを演奏し、そのコンサートが、音楽への興味のきっかけになった当時少年、あるいは少女だった方も大勢いらっしゃっただろうと思います。このような活動を精力的にされたことが評価されて、昨年、文化功労者にも選出されたのが記憶に新しいかと思います。すぎやま先生の活動をきっかけに、多くの様々なゲーム音楽が誕生して、多くのゲームコンポーザーの方が活躍する礎にもなったし、あるいは音楽に興味を持つきっかけとなって、音楽を仕事に、あるいは趣味にされて活躍されている方も多いのではないでしょうか。
もう一つ、すぎやま先生の音楽は「変わらないスタイル」だったことが印象的でした。ドラゴンクエストの音楽については、基本的に「オーケストラ」で演奏されるスタイルをずっと変えずに来られたということも、大きな要素だったのではないかと感じています。もともとポップスで活躍されていた方なので、いろんなスタイルの音楽を作ることができるはずなのに、ゲーム音楽をオーケストラで演奏するというスタイルを長く続けてこられました。最初のうちは、演奏会を実施すること自体も大変だったのではないかと推察されますが、先に書いたようにコンサートを継続してこられることで多くの方に認知されたんだろうなと思います。さらに、すぎやま先生ご自身もおっしゃっていた話ですが、ゲーム音楽は「機会音楽」であり、場面場面(=機会)に対してつける音楽を作っていくのが楽しい、というお話をされており、「城」「街」「フィールド」「洞窟」「塔」「戦闘」などの場面に対し、シリーズごとにいろんな味付けをされたオーケストラ音楽を披露していただき、その都度披露される新作を楽しみにしていました。個人的には、なかなか変化のつけづらいと思われる「街」の曲が、いろんな形で描かれており、作品毎に感嘆していました。
お元気だと思っていたため、本当にショックでしか無いんですが、お年、いやレベルと言うべきでしょうか。レベル90を迎えられていたので、お元気のうちにコンサートにいかねば、と密かに思っていたのですが、願いが叶わず、大変残念です。
今ごろ、宮川泰さん(宇宙戦艦ヤマトの作曲者)や、筒美京平さんと談笑されていると良いなあなんて、思いながら、最後にすぎやま先生が日頃言っておられたスローガンを書いて締めようと思います。
「音楽は心の貯金です」
すぎやまこういち先生、素晴らしい音楽をありがとうございました。お世話になりました。
【NHK】すぎやまこういちさん死去 90歳「ドラゴンクエスト」など作曲
【時事通信社】すぎやまこういちさん死去 「ドラクエ」作曲家、90歳
【共同通信社】作曲家すぎやまこういちさん死去
【朝日新聞】作曲家・すぎやまこういち氏死去 ドラゴンクエストや学生街の喫茶店
【スポーツ報知】作曲家すぎやまこういちさんが死去 ドラクエ、JRAファンファーレ
【4Gamer.net】すぎやまこういち氏が逝去。ドラゴンクエストシリーズなどさまざまな楽曲を手がけた作曲家
【日テレNEWS24】すぎやまこういちさん死去 鳥山明氏が追悼 | 日テレNEWS24