5年(その2)

NHK総合を観たら、震災復興のためのコンサートを会津から生中継でやっているんですね。ありがたいことです。地元に「IWAKI PIT」っていう劇場がオープンしていて、まだ行ったことないですけど、演劇とかライブが開催されているので、機会を見て行ってみたいなと思っているんですが、音楽などが心の支えになったり、励ましになることがありますよね。

夜散歩していると、何軒か立派な建物で生活感がない家が見かけます。「売家」の看板が掛かっている家もあります。住宅事情は大変厳しいはずなのに、立派な家に人がいないんです。

考えてみれば当たり前のことで、お金に余裕があって、あまり福島・いわきに愛着があまり無い方などは、原発事故で放射線量が少し高く、放射性物質が至る所に残っているであろう場所にわざわざ残るわけないんですよね。お金に余裕があれば、他のところに移り住むのは個人の自由だし、権利ですし。

でも、地元人としては…やっぱり寂しい。今まで住んできた場所ですし、やっぱり愛着があります。頭では分かっているんですけど、気持ちとしては、どうにもならないもどかしさがあります。起こってしまったものを戻せませんし。

そう考えてみると、双葉郡の帰還困難区域などにお住まいだった皆さんの気持ちも想像に難くないと思います。5年経っても故郷に戻れないところもあるし、戻れていてもまだ十分な生活を送れる状況ではない。そもそも、もしかしたらずっと故郷に戻れないかも知れないという漠然とした不安を抱えていらっしゃる。以前、そういった双葉郡の避難者の方と、地元いわきでのいざこざもありました。避難者の方は、東京電力から月10万円の慰謝料が支給され、いわき市住民は慰謝料が無いのがそういったいさかいの原因のひとつだと思われます。ボクなんかはある程度、給料をいただいているので、さほどそういったお金の面は気にしてはいなかったんですけど、あまり給料が少ない方などは月10万は大きいですから、妬み・ひがみなどはどうしても起こってしまうんでしょうね。

でも、慰謝料をもらっている方の多くは、故郷に戻れないと言うことを考えると、月10万の慰謝料も当然なのかなと考えることも出来るわけです。ボクらは少なくても地元にいられるわけですから、故郷に戻れないという状況ではないし、そういった差は当然なのかなと個人的には思っています。

そう考えると、阪神大震災の5年後と、状況は全然違いますよね。阪神大震災後の5年はある程度の復旧・復興が見えてきていたような感じだったように記憶していますが、東日本大震災の津波と原発事故では5年の月日ではなかなか解消できず、原発事故の影響の方は、そもそもどのくらいの期間でめどが付くのかすら分かりませんし。

5年って長いようで、被災地にとってはちょっと短い期間だったような気がします。ボクにとってもこの5年間はあっという間でした。今後の5年でどのようになるんでしょうね。

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