2月6日(タイトル自動生成)
2月6日
昨日は久石さん関係でお世話になっている渋谷さんと会いました。去年のコンサート以来、お会いするのが2回目です。今回はちょっとしたことの打ち合わせを兼ねていまして、そのことに関してはある一定の結論が出ました。それにしても、渋谷さんと同郷だったなんて、世の中…いやインターネットも狭いものですね。とある地元の喫茶店で、長時間話してました。打ち合わせの話もひと段落すると、久石さんのお話や、その他インターネットの話などで盛り上がりました。喫茶店で2時間くらい話していたでしょうか… その後、CD店や楽器店などで久石さんのCDや楽譜の視察…(笑)。最後は渋谷さんに自宅まで送ってもらっちゃって、ありがとうございます。その帰りの車中の中、とある掲示板で「久石譲の音楽は映像が無くては成立しない」という話が書き込まれていた件について、僕は「映画は総合芸術であり、音楽のみでそれ自身が成り立っていたら全体として成立しない。映画全体で見たら、音楽だけで成立しなくてもいいのではないか。」という持論を展開。渋谷さんも「そうですね」と支持してくれました。ただ、久石さんの音楽が、それのみで成り立っていないと言っている訳ではないですよ。ちゃんとソロ作品でアレンジし作り直されてこそ本来の久石さんの実力であり、映画用に引き算された音楽も久石さんの実力でしょう。そのとある掲示板ってのは、文句ばかりで「ここはダメ、ここもダメ、これもダメ」という感じ。じゃ、一体何がいいの? と言いたくなる位。僕もゲーム作品や映画作品の文句等をよく言うんですが、やっぱり何の根拠も無く、「だ~め、だ~め」というのもダメかなあと思い、ちょっと自分も反省しました。あ、そうそう、もう一つ…「坂本龍一が北野監督に『音楽を除いて、監督の映画は素晴らしい。僕の音楽を使ってみないか』と言ったそうで、実際どうなんだ?」ということも書き込まれていました。これは事実のようですが、これも僕の持論は「映画は、映像・音声・構成・ストーリーなどの組み合わされた総合芸術。それを最終決定するのが監督。だから、『音楽が悪い』と言った時点で、映画の出来は悪かったというのに等しいことだろう」というものですが、皆さんはどう感じているでしょうか。
2000年