好み

先日仙台に行ったときにタワーレコードでジョバンニ・ミラバッシさんの「三鷹の呼聲」とテリー・ライリーさんの新作CD「STANDARD(S)AND」を買ったんですけど、『好み』の話をしてよいですか?

ま、ブログは思ったことを書きなぐるものなので異論は受け付けませんが(苦笑)、ジブリファンであるボクであるため、普通に考えるとミラバッシさんの「三鷹の呼聲」が久石さんの作曲であるジブリ曲をピアノソロとして構成・ジャズアレンジされていて、ジブリで親しみのある曲が多いため、そちらの方が好きになりそうなんですが、実はテリー・ライリーさんの「STANDARD(S)AND」の前半の方のピアノソロの方が実はすごく好きになっている自分がいます。

なぜかと考えてみると、おそらく「生粋の久石ファン」だからなんだと思いました。

映画監督の宮﨑駿監督のファンでもあり、作曲家の久石譲さんのファンでもあるので、映画の「映像」とそれにフィットした「音楽」のコラボレーションから『好き』っていう感情が起こっているため、特にジャズアレンジが施されているため、映画の映像にフィットされていないのはあまり好まないのかも知れません。

いや、単発でいろんなアレンジがなされることは嫌いではない、というか好きなんです。ただ、「宮﨑駿監督」作品として括られたジャズピアノ作品となってしまうと、久石ファンとしては、「いや、久石アレンジが至高であり、究極である!」という意識が芽生えてしまうというか(笑…ちょっとオーバーめに言ってます)。

だから、テリー・ライリーさんの「STANDARD(S)AND」のピアノが素直に好きだなあと思ってしまったと。

これは単なる「好み」であるんですけど、これ、ドラゴンクエストのすぎやま先生の話で言ったことなんですけど、すぎやま先生ってHPで意見を出されていますけど、

私のドラゴンクエストの楽曲は、オーケストラ音楽として多くの方に親しみをもって利用されています。
一方、大変残念なことに、利用者の方が一方的にアレンジをして公表されている事例が後を絶ちません。

すぎやまこういちの世界より

という感じで、アレンジをされるのは基本的にNGとされているんですが、たぶん先述のボクの気持ちと似ているところがあるのかなあと感じています。ドラゴンクエストというゲームのために作曲した「機会音楽」として、オーケストラをベースとした曲をすぎやま先生は作曲しており、ゲームにフィットしないような曲を勝手に作ってほしくない(…とすぎやま先生が思われていたかどうかは今となっては分かりませんが…)という想いも、分かるなあと思ってしまう自分もいます。

でも、一方では宮﨑監督やら久石さんの方は、ミラバッシさんのジャスアレンジについてOKを出しているので、著作権をお持ちの「制作者さん」の立場の方もいろんな考え方をされるだなあと思ったりして。制作者として、素材として使ってうまく料理してもらうことには別に気にしない人も結構いらっしゃるのかなということも感じてます。最近聴いているラジオ「TOKYO M.A.A.D SPIN」では、既存曲をいろいろ繋いだりバックのアレンジを大幅に変えて楽しむ文化もあるのを目にしたのでってのもありますが。(宮﨑監督はミラバッシさんの演奏が好きだってこととか、そもそも有名な天才ジャズ・ピアニストの方から楽曲をアレンジしてアルバム作りたいと言われ、さらには宮﨑監督から了解を取り付けていると言われた久石さんには拒否権は無かったりするのかななんていう想像を巡らせてみたりもするんですが…苦笑)

すぎやま先生の話をした時に言ったことですが、「曲を忘れられず、ずっと多くの人に共有されるためには多少のアレンジに寛容になって、いろんなところで楽曲が耳にされる機会を作った方が良いのではないか?」と思っているのが正直な想いです。でも、そこと「好み」はやっぱり違うわけです(苦笑)。

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