ピアノの魔法使い

『谷への道』の演奏が終わると、久石は颯爽とピアノの前に座り、ピアノ脇に備え付けられたミネラルウォーターを口に含んだ。いよいよ、久石自身も演奏に加わって、ピアノとチェロという今コンサート注目の演奏形態となる。

・View of Silence 〜短編映画「4 MOVEMENT」&ソロアルバム「PRETENDER」より〜
この曲の冒頭はピアノのソロパートから始まるわけだが、過去の久石譲のコンサートを観るところだと、いつも演奏に入る前にハンカチで手を拭いたり、指先をリラックスさせるために手を握ったり開いたりするような、いわゆる準備動作がよく見受けられた。ただ、今回はその動作が過去に較べると少ないように感じた。いつも、演奏に入るまでの間が長いことが多かったのだが、今回は非常にスムーズに、返って「弾き急いでるのでは…」と思うくらい弾きに入る姿勢が早いように感じた。

この『View of Silence』という楽曲は、ワンダーランドレコーズよりリリースされたDVD「4 MOVEMENT−四楽章−」という久石が監督をした短編映画のエンディングを飾っている曲だが、その以前にソロアルバム「PRETENDER」で、アルバムの最後を飾る曲として発表されている。ファンの間では評価の高いナンバーで、コンサートで是非演奏してもらいたい曲目に必ず入ってくる曲だ。そんな曲が久しぶりにコンサートで演奏されるとあって、ファンとしては大きな喜びだろう。

実際の楽曲の演奏はというと、久石の冒頭の流れるようなピアノソロから、チェロが後を追ってくるようなアレンジで、この曲も違和感なく聴き入ることができた。オリジナルを尊重しつつ、チェロを活かすようなアレンジだったと言って良いだろうか。ただ、ピアノのタッチがこの時点で若干弱かったのが多少気になった。まだエンジンがかかりきっていないのか、あるいは体調を崩しているのか、気になるところだった。しかし、私自身、この曲をコンサートで聴くのは初めてだったためもあってか、そのタッチの弱さがメロディがスッと心に染みてくる感覚を覚えさせ、曲にただただ感動している自分がいた。


・風のとおり道 〜映画「となりのトトロ」より〜
ふと、ピアノの横に一台のチェアと譜面台が設置された。そう、今度は久石のピアノと、コンサートマスターの近藤貴志のチェロとのデュオにて、宮崎駿監督作品「となりのトトロ」の印象的な場面に使われていた楽曲が演奏された。

この曲はコンサートでも良く演奏されることがあり、2000年にはクラリネットとのデュオで、2002年ではオーケストラで演奏されたりした。また、東京FMの番組「LIVE DEPOT」では大江千里氏とのピアノデュオを披露するなどにより、好評を博している楽曲の一つである。

肝心のデュオの方だが、久石のピアノから始まり、その後近藤貴志のチェロの音色が入り込む格好となる。今回の公演でのコンサートマスターである近藤貴志は、それまで、久石とコンサートなどでよく組まれて演奏していた近藤浩志の兄である。弟の近藤浩志が今回のツアーではメインのコンサートマスターを務められているのだが、日程の都合が合わず郡山公演には帯同しなかった。そのため、郡山公演で初めて兄の近藤貴志がコンサートマスターを務めたわけだ。そのせいか、チェロ、ピアノともに演奏に少し硬さが感じられたが、そこはこれまでの経験でうまくカバーをしていたようだ。


・Asian Dream Song 〜長野パラリンピックテーマ曲&アルバム「PIANO STORIES II -The Wind of Life-」より〜
今度はまたチェロ9人とピアノ1人の図式に戻っての演奏となる。この楽曲は、1998年に行われた長野パラリンピックの開会式でTHE BOOMのヴォーカリストである宮沢和史氏が歌われていた曲であり、またこの曲のインストヴァージョンがトヨタ・カローラのCMに使われていたことを記憶されている方も多いだろう。

チェロとピアノで奏でられるこの曲のメロディは、なぜかアジアの悠久さを連想させたり、また長野パラリンピックを思い出して、歌をくちずさんでしまいたくなる。演奏の方は、オーケストラに引けを取らないほど、チェロの音が響き、その音の中心を久石のピアノが、透明さを持って通り過ぎていくような、そんな感じがした。

会場に響いていた音が完全に鳴りやみ、一息ついてから、会場からの拍手が鳴り響く。チェリストたちはその場で起立し、観客席に向かって拍手を浴びる。久石は、ピアノの座椅子から立ち上がり、再び会場に向かって頭を深く下げた。久石譲とコンサートマスターの近藤貴志は、お互いがっちりと握手を交わし、チェリストたちはステージ上から、舞台袖の方に退場をしていった。

 

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