宮崎駿・筑紫哲也NEWS23対論(1997年7月16日放送)
筑紫「だからその、自然と人間の関係で言えば、つまり農耕を始めたときにすでに人間の自然に対する侵略が始まったと言われてる。」
宮崎「はい。」
筑紫「室町時代が舞台で、ところがその農耕で留まらなくてもっとある意味で自然破壊的な、製鉄をやる集団というのが物語の中で軸になってますね。」
宮崎「まさにこれは人間の歴史そのものですから、今僕らが日本の自然と言うときに、この自然というのは多くの場合、いやほとんどですね、人間の手が加わって形を変えてしまった自然ですよね。」
筑紫「ええ。」
宮崎「あるいは矮小化(わいしょうか)したり、もっと本来こう鬱蒼(うっそう)とした森だったはずだっていうような、そういうその農耕そのものがですね、自然破壊であったっていう風な考え方って言うのはですね、ほとんど世紀末になってから出てきて、これは革命的であると同時にもうこう頭をひっぱたかれるようなショッキングな考え方ですよね。」
筑紫「ええ。」
宮崎「そうすると、その文明のように築いてきた自分たちの世界観とか、人間観とか、価値観というのは一体どこへいくんだろうっていう風にならざろう得ないですね。で、答えが出ないんだっていう、そうするとその先どこにたどり着くんだろうって考えてますとね、非常にこうむしろ未来の指向よりも、過去の中にそのことについてすいぶん思いめぐらして、多くの人々が考えたりしてきた中に、つまり善とか悪だとかっていうような単純な問題ではないその宗教的なものであったりなんかしますけども、そういう考え方の中に、実は一番根っこが下りるような、着地できるようなところがある。
この世をどう見るか、生きるっていうのはどういう風に考えるか。そう考えてみますとね、やはり今の自分たちの生活が、また戻るんですけどもあまりにも殺しすぎて、あまりにも奪いすぎてるってところに回ってくるんですね。で、その人間に役に立つから緑を残そうとか、人間に役に立つから何とかしようとかっていうような考え方ではなくて、人間に役に立たないものだからこそ、そこに残しておかなければいけないんだとか、そのために場所を空けなければいけないんだっていう風にね(しなければならないんですよ)。いや、そういうことをはっきりするために映画は作ってはいけないんですけどね。その時に世界に対して、人間に対して僕らはどういう考え方を持つんだろうって。そのことを一回考えておかないとですね、子供たちの問題も同じなんですけれど、大人は子供に対する説得力を失ってるんですよね。というのは、生きるっていう本質的な問題よりも生きるやり方をですね、やり方が生きることだと思ってる。こうすると損する、こうすると得する。で、今苦しいけれども我慢しとけば、あとで楽だからとかね。手管(てくだ)の話ばっかりを生きることを錯覚してね、こう、やってきた。実際今の親たちもそうやって育てられた。だれが悪いとか何とかっていうよりも、まあそうせざろう得なかった部分があることも良く分かりながら、なおかつ今本当の事いうと、その、生きるということのもっているそのドロドロした闇の部分も含めて、大人が子供に語れる、あるいは大人も考えなきゃいけない、そういう時期にこの社会全体が突き当たってきたなっていう(感じがします)。ここまでは本当だからってことで明るく健やかに元気に生きなさい。そのあとは映画終わってから、自分で立ち向かってくださいっていう風にしてね、大問題を何か、何となくこうちょっと横においてですね、映画を作ってきた付けが(笑)、やはり自分たちにも溜まってるっていう風に思ったんですけど。そういうことでエンターテイメントを作れ得るのかという不安の方が、異念の方が(強くて)、僕は今でもそうなんですけど、そこから解放されてませんですけど・・・」
手管→人をだまして、うまくあやつる技術や手段。
筑紫「あの、つまりもののけ姫の物語でいくとですね、こうずっと観ていくほどに、つまり人間の度し難さと言いますかね、そういうものがどんどんどんどん見えてきてしまう。で最後、物語の主人公としては一種の、まあハッピーエンディングを付けてるんだけども、どうも見終わって、これハッピーエンドなのかなこの物語は、って思っちゃうところありますよね。」
度し難い→救いがたい、どうしようもない
宮崎「これはハッピーエンドじゃないですね(笑)。」
筑紫「ないですね(笑)。」
宮崎「そこでは人間の度し難さって言うだけじゃなくて、自分が今日ある、あるいはこの文明の在り方ってのは累々たるね、恨みと憎しみの上に築かれているんだっていうってことを、やはり忘れたときに変なことが起こるっていう風に、謙虚さを失うっていう事だと思うんですけれども。実は一粒のお米を大事に食べなさいよっていうおばあちゃんの言葉に戻っていくような話なのかも知れないです、これは。あの、稲といえども生き物なんだからというね、一つも無駄にするなっていう風なものの中にものすごく考え方があると思うんですけども。あの、人というものをどういう風に認識するかということなんですが、こうちゃんとまっすぐ育てたら暴力的な要素とか凶暴な部分とかですね、その残虐な部分とかいうものがなくて、一番理想な形に育つのが人間だと思うかどうかって問題なんですよね。人間とはそういうものではないんじゃないかっていう、その度し難い部分も含めて、人間なんだっていう風な人間観を持たないと、実はその部分を全部詰めていけば、あるいは消毒薬をかけて殺菌してしまえばね、そうすると全き人間になるっていう人間観っていうのはいつからそれを手に入れたのか。手を洗えば病気にならないんだってのと同じようにね。そういうものではないなっていう(方が正しいと思うんです)。人間の存在の本質にこう度し難い部分を必ず持ってて、しかも人間の一番憎悪するものは人間であってね、自然の側ではない。」
全(まった)い−全き→完全だ。欠けたところがない。
筑紫「えー、例えばその米の一粒大事にしろと言われた時代に、同時に少なくとも日本とかアジアの中ではその生き物に対する謙虚な部分があって、つまり米の一粒に対してもある種謙虚だからそれはいえるわけですね。」
宮崎「そうですね。」
筑紫「でも一粒にすぎないわけだけど、で、また生き物に対して、動物に対しても、そこに居場所があって我々はこっちに居場所があるという、ある種の住み分けという言葉がありますけども、それがあったんでしょうね。あの、かつては。」
宮崎「たぶん、もっと恐怖と畏怖の念で保てたのがつまり室町までだろうと。室町以降はいろんな儀式をやると、拝んだりですね、御神酒を捧げたり祝詞(のりと)をあげると、この木は切ってもたたらないとかですね。結局人間の意思が全てを決定していくんだけども、一応礼儀としてのいろんな作法を残そうという風に変わったと思うんです。それまではやはり本当に遺戒の荒ぶる神々に対する恐れが強かったんではないか。室町期にあの今の日本人のものの考え方や感じ方が形成された。つまり一極集中もそのころから始まってるし、それから日本を特徴づける芸術もその頃生まれている。その自然観の変化が、つまり自然観の変化と言うよりも日本の自然の変化だと思うんですけどね。ほんとにその修験者がようやく入ることができるような山しか、森しかなかったところが明るく開けて、木の種類も替わってですね、そこではじめて自然観が変わってきた。ところがある国々では、それは山は禿げ山になりね、岩山になって木が生えなくなってしまうっていう風な、そういう風になってしまうために(今の自然の状況になってますが)、日本は自然の回復力が強かったおかげでずっと罪なく緑が覆い続けている…くれたわけですね。それがあの、室町時代に変わったと言いながら、それまでの恐れの気持ちをどっかで恐れと同時に、それが一番清らかなものであるっていう想いが、日本人の心の中には未だに残り続けているんじゃないかなと。傘地蔵現象って僕は言っているんですけれども、傘地蔵っていう民話がありますよね。」
祝詞(のりと)→神に祈る目的で、祭儀に朗唱する詞章。
修験者(しゅげんじゃ)→修験道の行者。髪を伸ばし、兜巾(ときん)をかぶり、笈(おい)を負い、金剛杖をつき、法螺(ほら)を鳴らして、山野を歩いて修行する。
筑紫「はい。」
宮崎「ものすごく貧乏なおじいさんとおばあさんが、正月を越すお餅が買えないんで、傘を作って市場に売りに行くんですけども。ああいう見ようによっては正直者を育てるために、意図的に作られた民話じゃないかなっていう風にね(思いますよね)。実は、貧しさとか、なんて言うんでしょうね、素朴さとか貧しさとか優しさとかというものに対する憧れが、つまり空っぽの美しさですよね。空っぽの、邪念がない煩悩を抜けだした(ような)、そういうものに対するあこがれをこの民族は同時に、ずっと心の中に持っていたのではないか。」
筑紫「だから、どうなんでしょうかね。その自然との関わりでいえば、自分たちは相当それこそどうこうしたり、酷いことをしてるんだっていうことを自覚した上で、それから自然とどういう関係を持とうかと考えるのと、それがなしの場合とずいぶん違いますよね。」
宮崎「違うと思いますね。例えば自然という言葉の曖昧さによって、とにかく緑になっているのが自然だと思っている人がいますから、それはゴルフ場に出て国会議員が『こんな素晴らしい緑があるじゃないか』って言ったって風な、このような例がありますから。ただだけど、実はこれは僕の勝手な妄想ですけども一国の首相がですね、方針演説をするときにですね、最初に何を置くかということなんですよね。そうすると確かに経済も上向きにしなきゃいけない、失業者も減らさなきゃいけない、そういう日常のごたごたは山ほどあって、それによって政治が動いてることも分かりますけども、やはり国の目的というよりも、国というのが世界で一番美しい森と、清らかな水が流れてる国にこの国をするのが、そしてそれを子孫に受け渡そうと(いう考え方とか)、あるいは、そういう力を自分たちの国だけではなくて、周りの国にその力を貸そう、そういうことがこの国には、こういう緑に恵まれて自然に甘やかされて育ってきた民族の失敗の教訓も含めて、やること(※必要なこと)なのじゃないかな。アマゾンの熱帯雨林が消えていくことを危機感を持って警鐘を打つのは分かるんだけれども、それと同じことを実は自分たちがやってるんじゃないか。じゃ何をするのか、警鐘を打つのをやめてこれをしようという所にきているのに、相変わらず、同じようなことが行われてしまう。」
筑紫「この前お会いしたときに、宮崎さんは端的に戦後日本の最大の失敗は子供の教育だったということをおっしゃいました。」
宮崎「憶えてます。」
筑紫「で、その後それを実証するような出来事が起きてて、ついに神戸のあの事件(神戸小学生殺人事件)までいったような気がするんですね。しかも、もしかしたら、前もお話しした、例えていえばこれはまだミッドウェーかも知れない。つまり、ここまで来たというけどまだ先がいくらもあるかも知れないという・・・。」
ミッドウェー→1942年6月初句、日本連合艦隊は中部太平洋のミッドウェー島沖の海戦で、アメリカ海軍に大敗北。これを境に緒戦で優勢だった日本軍の敗退が始まる。ここでは要するにここから悪いことが始まっていくのではないかといった意味。
宮崎「だと思いますね。何も変わってないんですけど、むしろあの事件のむごさというものが分かった瞬間、実はテレビも新聞も見たくない。むしろ僕は、分かりますからね。つまり、具体的にどういうことがあったのかということを分かりたいというよりも、何が起こったのかということだけはすぐに分かりましたから。あと、実はもうほとんど目をふさいでるような状態なんですけど。」
筑紫「分かったというのはどういう風にお分かりなったんですか?」
宮崎「そういうのが起こるだろうなと。と同時に起こって欲しくないと思いますから、とうとうここまで来てしまったかっていうような想いですね。どこまで行くんだろうと予想してもしょうがないですけども、むしろここでなぜそういう事件が起こったかというような、心理学に沿った、あるいは現代の社会の病巣ということでね、今から語られることについては耐え難いですね。そんなものはもう20年前に終わっているっていうような感じがしますから。何もやっていないんだなという風に自分たちが、(と、そう)思います。」
筑紫「それともう一つ、たぶん神戸の事件なんかとつながるのかも知れないけども、全てはバーチャルであって、つまり画面やいろんな所でこれは映画であろうと、湾岸戦争で死ぬ人であろうと、全部等価値、一つのしるしに過ぎないと(考えている子供たちがいる)。つまり自分かそうやって痛いとか熱いとかというものとは別の世界で全てのことが起こっているように見えちゃうと。そうすると同じ(ように)香川県でも、浮かんでいる豊島という島で起きていることの苦痛だとか、恐怖だとか、そういうことが何十分も離れていないここでは全く遠くの話で、テレビの画面で出てくる話なんですね。」
豊島(てしま)→香川県で不法に産業廃棄物が投棄されている島
宮崎「そうですね。でも例えば関西大震災の時、いろんな人々の行動を見ますとね、実はこういう膜がかかったような現実感のなさというのは、突然ひっくり返されるんですよね。じつはその膜がかかったような状態ってのが平和というんじゃないかと僕はこの頃思うんですけど、それにも関わらず、平和の方がいいんだっていうような現実が、着々と自分たちの周りでいろいろ起こりつつあるんだと(思います)。それは幸い日本は築地塀が高くて、戦後50年の間いろいろ手管も卸してですね、お金は稼いだけれども、築地塀からいろんなものが入ってくるのを防ぐことができた。でも実はその築地塀も、とうとう破れてですね、いろんなものが見えてきて、どうやら膜がかかったじゃ済まない現実の生々しさもつい近所まで来たっていう事を子供達は感じてるんじゃないかというような気がするんですよ。大人の方がむしろ鈍感で、ちょっと新しい事件に出逢うとドキドキして騒ぐけれども、しばらくすると、嫌な事件ですからなるべくその情報を読むことによってうんざりして、もういいやと忘れる。あるいは僕のようにはじめから見ないようにして乗り越える。そういう方法になっちゃってるんですね。その、膜がかかったってのは何もこの時代の変化だけじゃなくて、自分に椅子が見つかるまでの若者が持っている所在の無さっていうか、自分が根っこをおろせないっていう、そういう時期の特有の感覚なのかなっていう気もするんですけどね。あんまりそれを拡大して考えるのも平和なうちだよっていった方がいいような気もしたりして、それが自分たちの一番の大事な問題なのかどうかというのはちょっと疑問がありますけどもね。」
築地塀(ついじべい)→土をつき固めて造り、瓦などで屋根を葺(ふ)いた塀
筑紫「本来あるものを、突然世の中が悪くなったからこのような事件が起きるんだとか、そういうことではなくて、本来(、そういう事件)は非常にあるものなんですね。例えば14歳、15歳という年齢が、いつの世の中にとってもどういう時代でも、まあ簡単にいえば難しい時代ですよね。そのあとも礎材が見つからないという経験や憶えがあるんだろうと思うんです。ただ、その時にその環境の中で礎材を見つけるためにどういう回路があるかとか、そういう事から言うと回路が閉ざされている社会を私たちが作っちゃった、そこの点はやっぱり教育の失敗と宮崎さんはおっしゃったこととつながるのではないかと思うんですけどね。」
宮崎「いつも失敗するんですね、人間はね。そういう風にも考えなきゃいけないと思うんです。ですから世の中がちょっと不活発になったり、景気が悪くなったり、閉塞感が出てくると、相当変なことをしてしまうのが人間だっていう風にね、思ってた方がいい。だから、逆にある種の事件が起こったからといって、その事件によって自分のものの見方とか考え方がぐらついたり、自信を無くす方がね、むしろ滑稽だと僕は思います。実はあの事件について別な言い方をいくらでもしたくなる自分がいるんですけども、でもそこはもうちょっと今、僕には語る時間も資格も無いなと思って口を閉ざしているんですけれどもね。」
礎材(そざい)→建物の土台に使う原料、基礎材料 今回の場合では自分の根っこを下ろす場所を示していると思う。
言葉じりなどが、実際の放送と若干異なる場合がありますが、会話の内容自体は変わっておりません。また、第一回分(1996年5月2日、9日放映分)の内容は、宮崎駿著「出発点1979〜1996」(2,600円)に掲載されておりますので、そちらの方でお楽しみくださいませ。
※ 文中の括弧つきの赤文字は、直接本人の口からは発せられていない言葉ですが、前後の文章から入れたほうがよいだろうと判断したもの、あるいは言い換えた方がいいだろう(これは※印の部分)と思われる部分に対して書き入れています。また、文章を改めてビデオと較べて読み返してみたところ、間違っている部分を多少見つけましたので、修正しました。(1999年10月3日午後5時35分)