INTRODUCTION
            〜「映画『もののけ姫』に見るメディア接触の考察」より〜

 宮崎駿監督は、1963年から東映動画というアニメーションプロダクションに所属し、『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)、『パンダコパンダ』(1972)等の劇場用アニメーションを手がけ、後にテレビアニメーションに移っていった。その中で今の同僚である高畑勲監督とのコンビで『アルプスの少女ハイジ』(1974)、『フランダースの犬』(1975)等で人気を博し、その後、『未来少年コナン』(1978)というテレビアニメーションの初演出作を手がけ、「宮崎駿」という名前を業界に広めさせていった。
 そこで、その名前を決定的にしたものは『ルパン三世カリオストロの城』(1979)という劇場用アニメーション映画初監督作品である。興行成績としてはあまりふるわなかったものの、その作品の質の高さが評価され、毎日映画コンクール大藤賞を受賞し、今ではアニメーションの名作と評される作品となった。その後、スタジオジブリに所属し、『風の谷のナウシカ』(1984)をはじめに素晴らしい作品を創っている。
 それらの作品の根底にあるものは、「自然」というキーワードに代表され、それぞれの作品から発せられるメッセージ性には我々人類に共通する問題意識が存在する。スタジオジブリ作品として、宮崎監督自ら原作した作品は人間の自然に対する考え方を象徴するものが多い。
 スタジオジブリの前身である制作会社トップクラフトで創られた『風の谷のナウシカ』(1984)は文明社会が崩壊して1000年後の世界で、自然が崩壊し、腐海と呼ばれる人類が住むことの出来ない菌糸でできた森に覆われた世界でどのように生きていくかという話である。それまでにあったアニメーション映画とは一線を画し、「アニメーションは子供向けの楽しいもの、面白いもの」という一種の偏見を払拭するものとなった。対象世代としては、中学生以上向けの非常に重いテーマを持った映画であった。91万人もの観客動員を記録し、ヒット作品となった。
 そしてスタジオジブリとしての最初の作品である『天空の城ラピュタ』(1986)は、これも宮崎駿監督が原作・脚本を務め、小学生の男の子たちに向けて、「愉快な血わき肉おどる古典的な活劇」を目的として作られた。また、この『天空の城ラピュタ』の企画書には、彼のアニメーション映画に対する強い考えがうかがえる。その一節には「アニメーションはまずもって子供のものであり、真に子供のものは大人の観賞に十分耐えるものなのである」という文章がある。アニメーションの本来の姿を見つめつつも、さらに上を目指す姿勢がうかがえる。
 次の作品は『となりのトトロ』(1988)。これは子供たち向けに創られた夢のある話であると同時に、昔の日本を描くことによって、今日本が失ったものを感じようと呼びかける作品であった。この作品でトトロと呼ばれるキャラクターが大ヒットし、日本中の誰もが知っているキャラクターになったのは周知の事実であると思われる。
 『魔女の宅急便』(1989)では、女性の生き方について、波瀾万丈がありながらも一生懸命やることの素晴らしさを説いた作品。女性に好評な映画であった。この作品から日本テレビが製作として入り、その宣伝効果もあってか大ヒットにつながった。しかしながら、当初は宮崎監督が、この作品の監督を務める予定はなかったらしく、途中で監督交代劇があり、やむなく監督を務めた作品であったそうだ。
 『紅の豚』(1992)は男の生き方、本当のかっこよさとは何かを伝えようとした作品。この作品は、「国際便の疲れ切ったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる作品」という目的で創られた。しかし、監督自身は時代に合った作品を模索して、その答えが見つからず、モラトリアム映画として自分の趣味でもある飛行機についてを扱った『紅の豚』を創った。後から、故司馬遼太郎さんなどの対論で「『紅の豚』は作っちゃいけない作品だったんです。」と言い、監督自身後悔をしている作品でもある。
 このようにスタジオジブリ作品として創られた宮崎監督作品についての簡単な説明をしてみた。それぞれの作品は、すべて異なるアプローチを用いた作品であり、同じような映画を作らないとした基本姿勢が見える。

 以上の作品はすでに劇場で公開されており、ある程度の配給収入を収めている。宮崎駿監督作品、並びに制作会社スタジオジブリで作られた劇場用映画について、以下にそのデータを載せておく。

*ルパン三世カリオストロの城 (1979) データなし
*風の谷のナウシカ (1984) 7億4200万円
*天空の城ラピュタ (1986) 5億8300万円
*となりのトトロ (1988) 5億8800万円 (同時公開のため配給収入は同じ)
火垂るの墓 (1988)
*魔女の宅急便 (1989) 21億7000万円 ※'89年度邦画1位
おもひでぽろぽろ (1991) 18億7000万円 ※'91年度邦画1位
*紅の豚 (1992) 27億1300万円 ※'92年度邦・洋画1位
平成狸合戦ぽんぽこ (1994) 26億5000万円 ※'94年度邦画1位
耳をすませば (1995) 18億5000万円 ※'95年度邦画1位
*もののけ姫 (1997) 112億1600万円 ※'97年度邦・洋画1位
邦画配給新記録
ホーホケキョ となりの山田くん (1999)

(1998年5月末現在のデータ)
 *印のついたものは宮崎駿監督作品

 現在の宮崎駿監督のアニメーション界の位置というのは、非常に異端である。現在、アニメーション技術というのは、テレビアニメの進出によって動きを抑えられた影響により、「技」という面で後退してきつつあり、宮崎監督はその技を何とか後につないでいこうとアニメーション制作会社であるスタジオジブリを作っている。2年に1本というスタジオジブリの経営スタイルというのは、ハイリスク性から真似をする制作会社は少ない。監督個人の考えでは、「そのくらい時間をかけないと良い作品は生まれない」ということなのだが、そのようなことがアニメーション業界内に何らかの影響をもたらしたのかを調べてみた。宮崎駿監督作品等を研究している叶精二氏によると、「宮崎監督は、日本の商業アニメーション業界に技術的な変革はもたらしていないのです。あくまで特殊な環境、特殊な能力にめぐまれた天才ですから、奇跡のような突然変異現象なのです。間違いなくジブリ以外のスタジオには何も継承されません。」*1というようなコメントが返ってきている。作品の制作や制作スタイルに関しては、個々のスタジオやアニメーション制作会社にそれなりの方針があるため、さほど影響している事はないようであるが、作品内容自体は業界内でも注目される存在である。

*1 個人的に叶精二氏に電子メールで連絡を取ったときの返答より

 また、宮崎駿監督は文化人として見られることが多々ある。故司馬遼太郎氏との対談や、筑紫哲也氏などの対論など、アニメーション監督としてではなく文化人、エコロジスト、あるいは思想家的な面が取りざたされることが映画公開時ともなると強くなる。映画の広報活動的な意味合いも強いが、映画のメッセージ性からも相まって、そのような社会に対する意見を求められるケースが多くなっており、他のアニメーション監督たちは「監督として巨匠になっていくのは仕方がないが、文化人、思想家とされてしまうのがかわいそうだ。しかし、同じアニメーションをやる人間としてその恩恵を被り、感謝している」と言っている。要するに、巨匠になって監督としてだけではなく、文化人などの他の面からも見られ大変だろうが、それによってアニメーションの印象というものが「良い作品」という印象に変わり、その恩恵を被っているのだ。
 宮崎駿個人が、アニメーション監督ではなく、文化人として世間から見られることによってアニメーション業界の印象に貢献していることは確かだが、その苦労というのは他人には計り知れないものであり、先述したアニメーション監督たちは「その個人的な葛藤から『もののけ姫』という作品が生まれたのではないだろうか」との分析をしている。

 以上のようなことより、彼の作った映画はメッセージ性を持ち合わせており、そのことによって文化人としてどのような考えを持っているのかが問われはじめ、注目され始めた。その監督個人の考えを集大成するという意味で『もののけ姫』が1997年に劇場公開された。「楽しい」「迫力がある」というような他のアニメーションと較べ、宮崎監督作品にはそれらの作品にはない強いメッセージ性がある点が、今回研究に取り上げる最大の要因である。通常アニメーション作品というものは、さほど重いテーマを扱うことは滅多にないのだが、特に今回の『もののけ姫』に関しては人間と自然の関係というような、解決するのが非常に難しいテーマが取り扱われている。

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