第一節 出会いと離別(わかれ)



 映画っていうのは非常に面白いのは、出会いというストーリーの導入があり、また感動的な、あるいはとても悲しい離別(わかれ)ってのいうのがあるからだと、勝手に思ってるんですが、皆さんはどうでしょうか。それが必須な要素であるとまではいわないものの、この「出会いと離別(わかれ)」というものは、大きなストーリーを構成する重要要素といえると思います。
 で、宮崎監督の作品なのですが、この「出会いと離別」要素が必ず含まれています。


ルパン三世 カリオストロの城では…
 まず、ルパンとクラリスの出会いがあって(正確には再会ですが)、またルパンとカリオストロ伯爵との敵としての出会いもありましたよね。それで、最後にはすがすがしいルパンとクラリスの別れ。

風の谷のナウシカ
 これではナウシカと皇女クシャナとの敵対的な出会いがありました。ただ、別れはこの作品には特になかったですが、『風の谷のナウシカ』の原作コミックにはさまざまな種類の別れがありました。例をとってあげるなら、ユパとクシャナとの死別とかあって、なかなか読み応えのある漫画です。宮崎ファンにとっては、それ以外の方にもお勧めです!

天空の城ラピュタ
 もう言わなくても分かると思いますが、主人公たちの(パズーとシータ)の出会い、また主人公たちとドーラ空賊一家との出会い、そしてラストの別れ。

となりのトトロ
 これはさつき、メイ姉妹とトトロ、猫バスたちとの出会い。ま、これでは作品には現れてこないんですけど、さつきとメイが成長して大人になっていくにしたがっての、トトロたちとの別れ。

紅の豚
 ポルコとフィオ、そしてカーチスとの出会いがあって、そしてラストでポルコが姿を消すという別れ。これは映画の上では別れたのか、あるいは戻ってきたのかはちょっと分からないですね。別れてそのままなのか、戻ってきたのかは「私たちだけの秘密」ですから(笑)。

もののけ姫
 これはアシタカとサンとの出会い、そして映画上にはないですけど、アシタカがタタラ場へ、サンが森へと別れていくというようなのが別れになるでしょうね。


 以上、宮崎作品には「出会いと離別(わかれ)」要素が含まれているという法則が成り立つと思います。ただ、ひとつ忘れてもらっては困る点があります。この「出会いと離別(わかれ)」の要素っていうのは、物語の幅を持たせる大きな要素なのはわかってもらえると思うんですが、その使い方によって全く失敗をしてしまう可能性があるという、両刃のやいばを持っているということも知っておいてほしいと思います。だって、誰だって変な映画を観て、「誰だ、こんなアホらしい映画を作ったやつは!」と思う時ってあるんじゃないでしょうか? たとえ「出会いと離別(わかれ)」の要素をもっていたとしても、その演出方法に間違いがあれば全然感動も何もなく、ただしこりが残ったまま、映画の残りが過ぎていくってこともありえますからね。


 ま、その演出方法ってのは人によって、センスがあるので一概には言えないってのが映画の醍醐味だと思うんですが、おそらく現在映画の巨匠と呼ばれる人々(宮崎監督とか、北野監督とか、大林監督とかですね)はこの「出会いと離別(わかれ)」要素の演出方法が素晴らしいということがいえると思います。といっても、映画の好き嫌いっていうのは人それぞれあると思うので、たとえば宮崎監督の作品が好きな人もいれば、嫌いな人もいるというわけです。(アニメーションだから程度が低いだろうとの偏見を持った人もいると思うんですが…)


 うーん、僕自身、映画が好きで演出にも興味があっても、プロの演出についてはまだまだ勉強不足なので、「出会いと離別(わかれ)」の細かい演出方法については、さすがに手がまだ出せません。そのうち挑戦しようと思います。何かリクエストがあれば、言ってくださいね。(でも、どのくらいの人が見ているのかわからないのでないかも…)

 

戻ってみますか…