コンサートへ入る前に…

エントランスには大きなシャンデリアが迎えてくれる

大ホール内に入る前に郡山市民文化センターの印象について話そうと思う。私の地元にも同じように「市民文化センター」があるのだが、そちらとは全く比較にならない建物だった。確認は出来ていないのだが、通常、県内の市に建てられている「市民会館」の機能をこの文化センターに持たせている感じだった。私の地元は「市民文化センター」と「市民会館」が別に建てられているため、市民文化センターの方は多少お粗末な作りにならざるを得ないのかも知れない。

郡山市民文化センターのエントランスにはいると、天井にはシャンデリアが飾られており、小綺麗な印象を受ける。エントランスから歩き、階段を上ると大ホールと中ホールの間をまたぐスペースがあるのだが、そこには大きなガラス張りの壁が広がっており、デザイン的にもずいぶん凝った作りになっていたし、また陽の光が入ってくるため省エネが施されていた。

大ホール内に入った。大ホールの広さは2000席以上が敷き詰められており、そこそこの広さが感じられた。ホール内は基本的な配置をしていたが、その辺の市民会館より雰囲気は良い方だと思う。

占拠したホール最前列の中央に行くと、ステージの高さにちょっと悩んだ。今までコンサートを鑑賞したホールと較べてしまうと、2客席からステージ床までの高さが20センチほど高い。ちょっと首を持ち上げながらのコンサート鑑賞になってしまう感じだ。コンサートホールというよりも何かの講演会をするために作られたホールだったのだろうか。

最前列からの見た目線で… やっぱり少しステージが高い

音として最前列はあまり良くないのだが、どうも今回のコンサートに限っては最前列が良いらしいということで、チケットをもらうために長い間待った僕は、また久石さんの真正面の席に座らせていただいた。何か申し訳ない。

客席に向かうといつもの事ながら、新日本フィルハーモニーの方々の練習している音色に気持ちが行ってしまうものだ。手元のパンフレットを見ながら、あの曲この曲と思いを巡らせている。

そして忘れてはならないことは、携帯電話の電源を切ることとのど飴を舐めること(笑)。携帯電話はバイブ(マナー)モードにしておけば音が鳴ることはないのだが、演奏中にバイブレーションが起こったときには気が散るだろうから、私は切っておくようにしている。それとのど飴はやはり必須だ。演奏中に咳を我慢するようになるのを防ぐためだ。2度ほどえらい目に遭っているので、個人的には注意しなくてはいけない。

仲間たちと話をしていると会場内に「ジーッ」という、開演を知らせるにはちょっと不釣り合いな、テレビの砂嵐を流しているような音が響いた。いよいよ開演である。

まず、新日本フィルハーモニー交響楽団の皆さんがステージ上に姿を現した。とはいえ、ずいぶんバラバラな入場だった。最初は様子を見ながらステージ両脇からトコトコと入場してくるものだったので、多少違和感を感じたが、やはり全員が揃って席に着くと威風堂々とした感じが見受けられる。今回のコンサートのメンバーは同時期に新日フィルに他のスケジュールも入っていたため、二手に分けたそうだ。そのため、去年(2001年)の12月の「SUPER ORCHESTRA NIGHT」とは若干、顔並みが違っていた。コンサートマスター(※1)も違う方だった。今回のコンサートマスターはメガネに口ひげを蓄えた方で、前回の「SUPER ORCHESTRA NIGHT」では若い方だったが、その方よりは幾分歳をめされているようだ。調べたところによると、今回のコンサートマスターの方は豊嶋泰嗣(とよしま・やすし)さんという方で、非常に評価が高いヴァイオリニストの方だそうだ。後からピアノを学ぶためにアメリカ・ジュリアード音楽院に留学されている祐司さんに、このコンサート中にお話を伺ったところ、今回のコンサートを聴いて、この方の演奏は素晴らしかったとおっしゃっておられた。私はそこまで集中してヴァイオリンの音色を聴いていなかったため気づかなかった…

※1 コンサートマスター
オーケストラの第一バイオリン奏者で、調弦を指示し、合奏を率い、バイオリン独奏部を担当する。練習や演奏会において、指揮者の代行をすることもある。大オーケストラにおいては、複数のコンサートマスターを有している場合が多く、第二バイオリンやビオラ、チェロの首席奏者にも、この名称が与えられることもある。17〜19世紀の宮廷楽団においては、ヨハン・マッテゾンが1739年に著した当時の音楽百科事典『完全なる楽長』によると、「器楽音楽の総帥」としてオーケストラ指揮者の機能を有していた。(Lycosディクショナリ・小学館「大日本百科全書」より)

 

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